行政の出番ですか?

家庭内の暴力事件を受けての、某ニュースキャスターのコメント


「行政は何をしていたのでしょうか」

「市役所の責任は大きいです」


事件そのものの発生や、元となる家庭不和まで「行政が」事前に察知し、

専門機関によるアドバイスを行うなどの対応をすべきだったという主張のようです。


事件が悲惨であるほど、事前に何とかできなかったのかと思うのは当然ですし、

それだけ聞くと、何となくああそうだなと聞き流してしまいがちですが、

冷静に考えると、「行政が」家庭内の問題の兆候を事前に察知して、何とか出来てしまう

というのは、北朝鮮並みの監視国家、密告社会でなくては不可能です。


少なくとも、明治以降わが国は、(責任と一体の)自由の実現を国是とし、

また確実に実現してきました。

現代の人々も北朝鮮のような息苦しい社会を望む人はいないと思います。


ニュースキャスター氏は、家庭内の誰かでもなく、近所の人の誰かでもなく、

一番に行政を責任者として挙げました。

責任と自由は表裏一体ですので、これは行政に最大の自由=決定権?を認め、

その他を下に扱う思想が背後にあるのではと感じ、不気味さを覚えます。


官僚組織の失態はわが国でも、数多いですし、国まるごと官僚組織にした中国や

かつてのロシアがどれだけ悲惨な社会だったかも多くの人が知っています。


にもかかわらず、ニュースキャスター氏のような官尊民卑的発想がどうして、

出てくるのかどうも理解できません。

大衆の自由、裁量など認めず、エリート(役人など)が、大衆を善導する社会

といったイメージはある種の人=自分をエリートと思っている人にとっては

心地良いのでしょうか。


行政に出来ること、やるべき事があれば、

行政には不向きなこと、またはやってはいけないこともあるように思います。


それらの見極めは難しく、失敗は市民生活の衰退を招きますので、責任は重大ですが、少なくとも、何でも行政がやるべき=民間人ごときは引っ込んでろという

発想では、道を誤るのは確実だろう思います。






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