しがらみの無い政治が良いとよく言われます。
まったく異論はないのですが、しがらみとはなんぞやと最近よく考えます。
しがらみとは、(地域の)人間関係やコネクションのことだと思います。
それらに悪い意味をこめて、あえて「しがらみ」と呼んでいるわけです。
無論のこと、人間関係自体はまったく悪いものではありません。
生活や仕事をしていけば、自然とできていくものですし、豊かな生活を助けてくれるものです。
問題となるのは、人間関係そのものが目的化し、既得権益となり、
人間関係の内と外の人間を明確に差別して、外の人を攻撃したり、不利益を働いたりする場合です。
加えて、その人間関係が「公のお金や権限」を扱っていた場合です。
(民間だけの話ならどれだけ身びいきしようが問題ありません)
公の人間は、自分から距離の近い人と直接しらない人との間で扱いに区別をつけてはなりません。
議員や市長など、公人の知り合いがいないという偶然が原因で、市民が不利益を受けることがあってはなりません。
それらは不平等であり、人治政治になってしまいます。
我々に必要なのは、平等な法治社会です。
※人治政治と言えば、中国を思い浮かべます。
かの国では、「革命」が起こったことがないと思います。
「革命と称するもの」はありますが、その後民主化が進むわけではなく、人権状況が改善するわけでもありません。
古い独裁政権が、新しい独裁政権にとって変わるだけです
平等意識、法治の意識が無い場合、しがらみ打破宣言した新人が新たに権力を握っても、古いしがらみが新しい別のしがらみに取って変わるだけになってしまいます。
それでは何も変わりません。ただの権力争い以上のものにはなりません。
本当に公平な意味での「しがらみを打破する」が必要なのだと思います。
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