限界集落の幸せ

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先日、北海道の地方都市に住んでいる友人と久しぶりに話しをしました。
その友人の住む街は例によって、人口減少が続いており、同時に高齢化も進んでいるようです。

1980年代に高知大学の大野晃氏が提唱したいわゆる「限界集落」の定義ですが、
「65歳以上の高齢者が集落人口の半数を超え、独居老人世帯も増加している、集落
の共同活動の機能が低下し社会的共同生活の維持が困難な状態にある集落」

この定義に立派に当てはまってしまう、少なくとも部分的にそういった集落が友人の街にもあるようです。

定義だけみると、とんでもなくつらく、苦しく、不便と貧困に溢れた情景を思い浮かべ
てしまいますが、友人の話を聞いていると、そうばかりとも思えないのです。

釣りをしたり、お祭りに参加したり、SLを走らせるなどの町おこしのイベントを企画
したりと結構、忙しくかつ楽しそうにやっているように思えます。
少なくとも苦しみ一辺倒とはとても思えません。

定義の前半部分、
・高齢者の増加
・独居老人世帯の増加

は確実な事実なのですが、後半の
・共同活動機能低下
・社会的共同生活維持の困難

前半→後半と必ずロジカルに繋がらないのかもしれません。
なぜなら高齢化が進み、経済規模が縮小して、現金収入が無くなっても、魚を取ったり、
畑仕事をしたり、そして近所の助け合いによって生活が維持できてしまう。
つまりお金でなんでも解決するばかりが、正解ではない。いろいろな正解の形がある。
そういったことなのかもしれません。

1つの正解を特に都会的な正解を押し付けるのは、地域の幸せの実現にとって極めて危険
と思われます。

「うちは高齢化が進んでいるけど、だからどうした?何も困っていません」
例えばそういってのけるような、強さが次世代のわが国のあり方、活力となるのでは
ないでしょうか。

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