自ら招く負の連鎖

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意見の対立はどこにでもあります。
そして、ある国の外交方針が気に入らないなど、またはそもそもある国自体が嫌いだということも
往々にしてあると思います。
しかしながら意見が異なる・嫌いだ=暴力込みで攻撃してよいとはまったくなりません。
こんなことは当たり前なのですが、まったく当たり前でなく、むしろ暴力を行使すると
英雄になれるような世界もあるようです。
しかしながら暴力は連鎖して、拡大していきます。
「暴力で意見を強制した人」に対して暴力で意見を強制しても倫理的に非難できないわけです。
最終的には武力を独占した人間が、言論の自由をも独占するような、きわめて息苦しい社会と
なってしまいます。
実際にそうなっている国も近隣にあるようですが。
強い意見を持つことそれ自体は全く問題ありません。
しかし、表現手法として具体的には、テロ行為に訴えるここに大きな問題があります。
このような行為を賞賛することがあっては、最終的にその人自身はもちろんの事、かの国全体
に悪影響を残すでしょう。

具体的な暴力まで行かなくても、暴力的な言論・議論と置き換えても、近いことが言えるかも
しれません。
自分の意見のみが正しく、反対意見を持つ人間は悪徳であり、暴力的な言論・攻撃が許される
そのような考えは必ずわが身に跳ね返ります。
反対意見にも必ず一理はある、そのような許容性を持ち、日々言論を行っていくことが必要
だと思います。議会においてはなおのことです。
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