市民の声を聞く

市民の声を聞く、市民感覚でというのは普通選挙を前提とした民主主義を行う以上、当たり前の話です。


特にお役所、公務員の世界はほとんどが新卒採用が中心かつ終身雇用なので、目線や感覚が民間から離れてしまうこともあると思います。利益を上げなくても倒産しませんし、クビにもならないわけです。


政策実現に関する知識や専門性のみを重視するなら、議会よりも役所の方が優れているのは言うまでもありませんが、上記の点から議会は必ず必要だと信じます。間接的に市民の目線を取り込めるからです。


しかしこれは特定の「市民の声」のスピーカーになること、思想的な奴隷になることを意味しません。
すべての「市民の声」を政治に反映させて両立させることが果たして可能でしょうか。


田舎暮らしが好きな人と都会暮らしが好きな人は、同じ家の中で生活することはできません。しかもどちらかのライフスタイルが絶対に正しいわけではありません。


両立できない、でもどちらも正しい面があるという中で選択をしていかなければならず、それが政治の本質の一つではないでしょうか。
その為には、判断の基準となる思想・イデオロギーが必要で、それらが政治家をつくっているのだと思います。


自らの思想を捨てて、ないしは最初から持たない上で、全体の調和はまったく考えずに、特定の人や集団の意見の奴隷となり、ごり押しを繰り返すというスタイルでも、「選挙」的には何とかなることもあると思います。
さらに自分の背後にある「特定の市民の声」を錦の御旗にして、行政などを一方的に責め、自分が良い人のフリをするのは実に簡単です。


また、そのような政治スタイルは、もし行うとすれば、内心では誰よりも「市民」の事をバカにしていなければ行えないのではないでしょうか。

表面上耳を傾けているフリをして、選挙等を何とかすることのみ考え、そしてその人も含めた、街全体の将来に関しては、実は無関心なわけです。全体の調和を見ようとしないわけですから。


しかしそれではいかにも「衆愚政治」的であり、市民全体の幸福を追求するという政治の本来の目的にそぐわないと思います。
市民の声をきちんと聞き、そして街全体の現実をきちんと見て、自分の考えをしっかり持って実現しようとしていく、信念ある姿が常に必要だと思います。

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