批判と悪口

相手の意見の問題点を客観的に冷静に指摘するという、建設的な意味をこめての「批判」は大いに行うべきものですが、批判を通り越しての「悪口」まで多いのが、政治の世界でもあります。

そして、日常的に他の人や政党などの悪口を言うというのは、自分の選択や立ち位置に自信の持てない心理の裏返しなのではないかと最近良く考えます。
内心では自信が無いので、相手の悪口を言う事で相手を貶め、自分より相対的に「下げる」ことで小さな安心を得ようとする行為なのではないのか。実に不毛です。
本当に自分の選択や立ち位置に自信があれば、悪口を言う暇があれば、その分黙々と仕事をするのではないかとも思います。

また、道は一つではなく、正解も1つではありません。
民間は多くの企業の異なる商品やサービス同士の切磋琢磨により磨かれるように、政治の世界でも色々な考え方や方法が並列して競争することも重要です。
自分の方法以外にも正解があるのかもしれない。
そこを認められる姿勢がなければ、少なくとも民主主義の担い手にはなれません。

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コメント

  1. 私はある教団トップを批判していますが、批判だと相手がいることを想定して、敬称を付けます
    悪口だとアブラダヌキと呼ばれますね
    確かに見たままなんですが、悪口だとそこまで言うのかと驚きました

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