全会一致の幻想

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%A8%E4%BC%9A%E4%B8%80%E8%87%B4%E3%81%AE%E5%B9%BB%E6%83%B3
全会一致の幻想は、集団思考において、グループの結束を乱したくないという感情からくる自己検閲および「異論が無い事とは賛成を意味する」という間違った認識により全会一致の状況が作られていくこと。」(wikipedeaより)

「何か(意見が)ありますか?」と聞かれ、参加者からは何も反応が無く、そのまま決まるというケースは、日本人社会における会議ではよく見られる光景だと思います。
議会でも同様ですが、なぜ異論が出ないのかについてはさまざまなケースが考えられます。

①本当に何の問題も無く、良い意味で議論に値しない場合
何の問題もありません。

②議論の余地はあるが、多くのメンバーに自分の意見が無い場合
救いがありません。どうしようもありません。

③議論の余地があり、意見もあるが意見を言いにくい雰囲気に負けてしまっている
提案者との人間関係や事務方のご苦労への配慮など、予定調和を乱したくないという感情は当然に生じるものです。
最も、中にはあからさまに予定調和を強要しようとする姿勢を強調してくる人もいます。
私も、会議の主催者側になったことが何度かありますが、予定調和は楽です。
しかし、会議の目的は複数メンバーによる多様な視点により、より合理的な結論を出すことにあり、会議の進行をスムーズにすることに囚われては本末転倒です。

上記のwikiの記事においては、対処法として
結論を先に提示しない。
全員が賛成、あるいは全員が反対、という事例は存在しないとの原則に立ち、もし全会一致が起きた場合、誰かが議論の過程で意見の表明を控えた可能性があると考え、採決を無効にし、議論を振り出しに戻す。
などが提示されています。

これらは会議の主催者側、指揮者側の心構えです。
後者に関しては、はたしてそこまでできるかという気もしますが、非常に合理的で最もな案だと感じます。

それに加えて、メンバー側の心構えとして、「異論を唱える勇気を持つ」これが重要だと良い感じます。
意見を言う勇気を持つこと、批判されるリスクを自ら背負う覚悟があること、議会人として最低限必要な姿勢です。

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