終戦の日を迎えて

本日は69回目の終戦の日です。
今年も靖国神社に行ってまいりました。
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日本国憲法第9条1項は、「国権の発動たる戦争」を永久に放棄すると定めています。
この考え方は、時に日本国憲法成立によって初めて出てきたように言われ、だからこそ貴重で守らなくてはならないと主張されることもあります。
しかし、歴史的にはもっと前、1928年のパリ不戦条約が元だと考えられ、今なお世界の主要国の間では共有されていると思われます。↓
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8D%E6%88%A6%E6%9D%A1%E7%B4%84
※パリ不戦条約第1条
第一条 締約国ハ国際紛争解決ノ為戦争ニ訴フルコトヲ非トシ且其ノ相互関係ニ於テ国家ノ政策ノ手段トシテノ戦争ヲ抛棄スルコトヲ其ノ各自ノ人民ノ名ニ於テ厳粛ニ宣言ス
【口語訳】締約国は、国際紛争解決のために戦争に訴えることはできない、かつ、お互いの関係において、国家の政策の手段としての戦争を放棄することを、それぞれの人民の名において厳粛に宣言する。
この条約は、自衛権を否定するものでは無いと当時から言われていましたが、一方で許されないとされる侵略の定義が何かなど、細部にあいまいな部分が多く、象徴的な意味あいに留まるとされる意見もあります。
しかし、重大なのは条約の不備ではなく、1928年の段階でわが国の自由意志によってこれを批准したことです。つまり昭和16年の真珠湾攻撃は、自らの過去の言動を否定する行為となります。
国家が公の場で行った約束に対する変心には説明が必要です。
例えば、「侵略戦争否定は、過去の侵略により権益をたっぷり獲得した勝ち組の既得権保持を前提とした考え方で、それでは勝ち逃げではないか。わが国は今から他国を犯してでも自らの権益を拡大し、国民の繁栄と栄光を確保するのだ!」
などと公に主張し、パリ不戦条約批准は間違いだったと破棄した上で、改めて覇道にまい進するのなら、個人的には全く賛成できませんが、ある種スジは通ります。
しかし、当時の為政者は「自存自衛」という妙に歯切れの悪い造語を唱えるだけに留まり、何かしらの信念の主張のようなものはありませんでした。
これでは到底諸外国の理解は得られず、「1928年の不戦条約批准は、単に世界を油断させるためのウソなんですよ」と取られ、日本国は過去の条約や約束事を尊重しない未開国であると見られても仕方がありません。
これにより、明治以来先人たちが築いてきた、わが国を尊敬できる一等国と認識させようとする努力、治外法権等も順次撤廃し、国際連盟の常任理事国にもなり、成功しつつあった試みは水の泡となり、またこの愚行により250万以上の国民が犠牲となりました。
二度と繰り返してはならないことです。
 
以上の視点は、戦い、犠牲となった先人たちに、感謝と敬意を払うことを妨げるものではありません。
大抵の国民は、政治や外交に関する意思決定とは何の関係もない所で生活をし、いきなり戦場という極限状態に置かれ、一方的に究極の義務の遂行のみを求められた人たちです。
そして、その義務の遂行の仕方はあまりにも勇敢で立派でした。
何の説明もない奇襲開戦により、わが国はまともな交渉相手と見なされなくなりましたので、無条件降伏による一歩的な国土の分断統治など、何をやっても誰も文句を言わない、ひどい状態になる可能性もあったように思います。
しかし、先人のあまりに勇敢な戦いはアメリカに対して「戦勝は明白だが、これ以上こいつらと戦うのはもう嫌だ」と思わせることに成功し、国体維持などの最低限の条件を飲ませることに成功しました。
これはドイツにはできなかったことであり、またその奮闘は例えばその後の国土の分断による混乱、内戦などの不幸を防ぎ、結果として多くの国民の命を守ったと考えます。
そのような意味からも今の我々は、身命を賭された先人あってのものであると信じますし、敬意と感謝の念を抱くことに、何らためらいを抱くものではありません。
改めて、日本国に生まれた偶然に感謝すると共に、偉大な先人が守ろうとしたわが国の繁栄の為に、微力ながらも一助となれればと改めて思います。
 

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