政治の世界でよく使われる「しがらみ」について。

今日はめずらしく朝から更新します。
政治の世界で批判的によく使われる「しがらみ」について。
使い古された感もあり、しがらみ批判には実はたいした中身がないのではと、しがらみ批判自体が批判されるような風潮もあるのかもしれません。
でも、私は打ち破らなくてはならない「しがらみ」は確かにあると私なりの経験を通じて感じています。
 
(あくまで私なりの解釈です。)
「しがらみ」とは政治の世界が特定少数のメンバーばかりで占められるようになってしまい、そこにだんだん慣れてくると、市民全体の方を向かずに、そのネットワークの内側を向いて
政治が行われるようになってしまうことではないでしょうか。
具体的には、「○○は何期目だから、そろそろ○○のポストにつかないと順番が・・。」ですとか、「誰々は前に○○のポストに推薦してくれた。(または)私の提案に賛成してくれたから借りがある。だから誰々の提案には賛成するか・・。」などなど。
 
議会内における各種委員会の長の采配する実力は、議論の内容を時に左右し、結果的に市民生活に影響を及ぼします。
また、後者の場合、議案や予算案などに対する賛否や意見は、議案の中身と市民全体に与える影響をどう考えるかに基づいて真摯に検討されるべきであり、議員同士の過去の貸し借りなど、矮小なものに基づいて行われるべきものではありません。
 
一日たっただけで、たいした論拠もなく、昨日と意見が180度変わる例を見ると、そこに「何か」あったなと感じ、心底脱力します。
もしかしたら、その人は内心では議案に対しては賛成でも反対でもどちらでも良いのではないか。要は、自分が行う賛否を取引材料にして、「何を得られるか」だけに興味があるのではないかと疑いを感じることもあります。
 
政治家とは、良い意味での素人感覚を生かし、市民全体を見渡してた議論を真摯に行う「見識あるアマチュア」であるべきです。
けして、「少数ネットワーク内での取引に参加できる資格を持つ特権階級」のことではありません。
もし、政治家の多くに後者のような本音があったとすると、それは本質的な自殺行為です。多くの市民が政治不信を感じるのは当たり前のことのように思います。
 
しかし、私は知っています。
しがらみと真剣に戦い、議会全体を見識あるアマチュア集団にすべく、行動している議員は確実にいます。
私自身も私なりに、脱しがらみに貢献できるように行動してきたつもりですし、これからもそのようにしていきます。
また、まだ課題は多く指摘されていますが、それでも守谷市議会はここ3年で良い意味で(脱しがらみの方向で)大きく変わりました。私が当選したころとは、まるで別物と言ってもいいかもしれません(最大の功労者は議長です)。
 
ですから、政治を諦めないでほしい。一人でも多くの方に投票にだけは行って頂いて、そしてしがらみと戦う候補者に力を与えて頂きたいと真剣に願います。
投票に行かなくてはけして政治の世界は変わりませんし、逆に多くの方が投票に行って頂ければその分だけは確実に変わります。
今日は統一地方選後半戦の投票日です。

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