「俺は聞いていない!」は重要か

「俺は聞いていない!」という心無い上司の一言ですべてが止まってしまう、サラリーマン時代もそんな事はよくありましたし、最近見聞きしている範囲でもよくあるような気がします。
もし聞いていない!が本当に伝達不足を確認するだけの趣旨ならば問題ありません。
しかし、しばしばその背景にあるのは
・部下が作ったプランに対して細かいことがわからない。とても鋭い指摘や適格なアドバイスはできない。でも何とか上司としての存在感を示したいという焦りがある。
・そこで「俺は聞いていないぞ!」を皮切りにして、揚げ足取りのような質問をし、周囲がうろたえ会議が止まってしまう過程を見て、自分に存在感があることを確認したい。
確認している存在感は幻想な気もしますが、このような私的な動機で仕事をされると、本来の仕事に費やす時間を削られますし、周囲はかなり迷惑をします。
 
国会、永田町の世界においても「俺は聞いていない」は「この議案はけして承認しない。なぜなら事前に相談されていないからだ」を意味で、であるが故に事前の根回しは必須だそうですが、そのような議案の国民生活への影響といった正論が全く存在しない力学の中で、政治行政の仕事をされて良いのかとも思います。
キーマンでありたいという願望、見下されることへの不安、その背景にあるであろう払しょくできない劣等感やコンプレックスなどは誰でも持っているものです。
100人いれば94人くらいは、思い出すだけで叫びだしたくなるような過去や、どうにもできないコンプレックスと何とか折り合いをつけながら生きているものではないかと思います。
 
「聞いていない!」だったら、そもそもきちんとコミュニケーションが取れるような部下との関係を築けているのか。そこに上司としての責任はないのか。
もしくは、本当に部下の手落ちで聞いていなくても、別にその場で判断をすればよいと考えるべきだと思います。
コンプレックス解消のため、キーマンになりたいという動機でわがままな行動をとるのは、本来の仕事の目的から逸脱した無意味な行為ですし、特に政治行政の世界においては、公共の仕事をそのようなことに費やしてはいけないとしみじみ思います。

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