「伝わらない」ことを前提に話した方がよい?

ビジネスにも役立つ!?
橋下徹の維新の党批判に学ぶ「伝え方の極意」(上) 政治ジャーナリスト・松井雅博

 
おもしろいコラムを読みました。
橋下徹大阪市長の表現方法などを通じて、わかりやすい伝え方とは何か考えるコラムでして、個人的には橋下徹氏の手法は全く真似たくはありませんが、考えさせられる点は多くあると感じます。
 
特に響いたのが、「人は自分が思っているほど相手の話を聞かない。」「相手に何かを伝えようとするときは、そもそも「伝わらない」ことを前提に話した方がよい。」という指摘、体験的にも真理だなあと感じます。
こちらから話す際には、伝えたい結論は何か、前提となるデータやストーリーも含めて全部分かっていますので、詳細に話すことができますし、その方が丁寧な気がします。
しかし、聞き手としては予備体験や心の中の興味の対象も異なりますし、そもそも忙しくて聞く時間もあまりないことも多々あります。
そう考えると、別にふて腐れたり絶望するわけでもなく、「伝わらないのは当然」と自然に考えられますし、あまり気に病まず伝わるまで繰り返し話せばよいのだと思います。
 
一方で筋の悪い話としては、コラム中にもありますが、「(話しても)どうせ伝わらない」ので「有権者など適当にあしらっていればよい」「政策など語らず、駅前で自分の名前を連呼していればいい」「適当に政敵をラベリングし、派手に批判していれば議員であり続けられる。」などに陥ることです。
特に3番目の適当政敵ラベリングはかなり有効な手法で愛用者も多いですが、そういった手法は時間が経過すると、通用しなくなるように思えます。
「政策論争などたくさん話したいことがあるけど、わかりやすく伝えたり、聞き手の時間に配慮するために、あえて短く説明している場合」と
「有権者など適当にあしらっていればよいという本音で、それっぽいきれいなフレーズを適当に並べている場合」では、随所に出てくる論理矛盾や気迫、情熱といったなどの点からずいぶん違いが出てきますし、最終的にはメッキを有権者に見抜かれるのではないか。
やはり、表現の仕方や機会はさまざま考えなくてはなりませんが、根底には話したいこと、伝えたいことが強く、そしてたくさんあるべきだと信じます。
 
 

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