市民ボトムアップによる協働の街づくり

わが国は社会主義国家ではありませんので、街づくりは権力者の指示により一方的に実現され、市民の大半は受け身に巻き込まれる、というものではありません。
例えば、シャッター通りと化している商店街を何とかしたいと行政が思ったとしても、その土地・建物のオーナーが、シャッターのままでも生活に困らないので現状維持でも良いのだとしてしまったら、行政としては基本的にはどうにもなりません。
街づくりは、市民や企業の自由な選択の集積であり、結果です。それを前提として政治や行政の立場として、街づくりにどうアプローチしていくか。
 
リーダーシップというと、トップダウンの強力な指示型が連想されますが、それは要するに「私の言うことに周りが合わせろ」というものです。
しかし、個人や集団にも向き不向きがあり、どんなことをしても幸せになれるものではない。
市役所の職員が明日全員退職して、みんなで金融会社を設立して軌道に乗せるのは不可能ではないですし、けして人として間違った生き方でもありませんが、まず間違いなく「不向き」ではあるでしょう。
これは街全体を見渡しても同じではないかと思うのです。市民全体のこれまでの活動・伝統や今後の意志・将来像といったものをすべて無視して、リーダーが一方的に「こういう街にしたいから、これに合わせろ!」と言ってもけしてうまくいくものではない。
 
一方で、街づくりは市民が主役とはいえ、政治や行政の立場からは、市民全体を拘束するような規制や税制を制定することはできます。逆に無用な規制等を緩和してより自由にすることもできるでしょう。
そのようなことができる立場の者は、市民全体のこれまでの活動、これからの意思といった街の「適正」を無視しないような配慮が必要なのではないでしょうか。
強固で一見頼りがいがあっても、一方的なだけのリーダーシップは不幸を生みかねません。
ボトムアップを重視した堅実な手法こそが、守谷の伝統でもあると信じます。
 
 
 
 
 

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