暗黙のルール

部活顧問はブラック」署名運動までする教師たちの切実 4月27日(水)16時40分配信

「部活がブラックすぎて倒れそう… 教師に部活の顧問をする・しないの選択権を下さい!」。こんな教師たちの「叫び」への賛同を募る署名運動が昨年暮れからインターネットで展開され、3カ月足らずで2万人以上の署名を集めた。(以下省略)

 
私が中学生の頃、部活には全生徒が入るのが当たり前のような空気がありました。
友人の一人が空手が好きで、通っている中学に空手部が無いと言う理由で部活に入っていなかったのですが、先生側の受け止め方として、まさに大問題と言う感じでした。
帰りのホームルームか何か、つまりクラスの全員がいる場で、担任の先生から件の友人に対して、なぜ部活に入らないのか問い詰められる場面があったのを覚えています。
放課後に個別に問えばいいものを、わざわざ皆の前でやるわけですから、ほとんどつるし上げといいますか、ある種の刑罰のような感じでした。
友人は毅然と外で空手の道場に通っていますのでと答えていまして、それ以上は先生としても追及できなかった様子でしたが、生徒本人の興味や適正とは関係なく、できれば何かの部に入ってほしいと考えているように見えました
理由としては何だったのでしょう。放課後も全生徒を校内に縛り付けておいた方が管理がしやすいなどでしょうか。
いずれにせよ、生徒本人の興味を無視しても追求しなければならないルールだとしたら、それを少なくともそれは生徒の為に考えられたものではなく、学校側の都合だったのでしょう。
 
記事中では、先生側にも「全員顧問制」という暗黙のルールがあり、拒否できない空気があるとの事ですが、構造は近いように感じられます。案外日本の学校現場の空気は、私が子供の頃と本質的に変わっていないのかと感じました。
「全員顧問制」への疑問の反論として「顧問を通して教師も生徒も成長するからやるべきだ」ともありますが、別に生徒も教師も「校内の部活」という選択肢に囚われずとも、各人の興味に応じた活動を通じて成長したり、社会貢献を行うことは可能なはずです。
つまり、「教師も生徒も成長できるから」というのは、何がなんでも「校内の部活」でなければならない理由にはなっていません。
けして部活動を否定するわけではありませんが、学校の外も含めて、選択肢を増やした方が、個人の適正を生かせる可能性が増えるように思うのですが・・・。

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