事実を持ち出したところで反論にはならない

韓国との話が噛み合わない原因について

↑(昨日の続きです)

「ムービング(動く)ゴールポスト」と評されることもある、韓国の交渉スタイル。

目標達成を約束しながら、現実には目標(ゴールポスト)を動かしてしまい、決してゴール(目標達成)できないようにする嫌がらせ戦術の事です。

理解できない、一体どうすればいいんだと言われますが、自分の中を強い主観視点で満たすことを想像してみると理解できる気もします。

強い主観視点は何より、自分の気持ちとそれに対して共感してくれることが重要で、客観的な事実やお互いを縛る合意、ルールなどは何の価値もありません。

つまり、あくまで要求されているのは、「共感」であって「問題の解決」ではありません。

 

事実関係を踏まえて、合意をして問題を解決するという発想は、あくまでもある程度の「俯瞰視点」がある人間の発想に過ぎません。

つまり、ひたすら共感を求めている相手に対して、

「いや、それは歴史的事実ではない」とか

「過去の合意と異なる。約束が違うではないか」

と反論したところで、適格な反論にはならない。バスケットボールをやっている人間に野球のルールを持ち出して、「それはボークだろう!」と言うような、ある種「間抜け」な話なのではないでしょうか。

では「適格な反論」は何か。

それは、相手以上の「感情」と「共感」をぶつけて押しつぶすことです。

でも、そんなバカバカしいことは大抵の日本人はようやらんとなってしまうと思います。

しかし、視点の違いによって、客観的事実などどうでもよいとなる可能性があるとは、私は全く想像したこともありませんでした。

ほとんど「文明の衝突」レベルな話ですが、これぞ異文化交流といいますか、勉強になります。

 

振り返ってみると、日本人の中にも、ひらすら主観視点という方は間違いなくいます。

私も例えば、原発政策や図書館の民営化問題などで議論した際に不思議に感じたことがありました。

相手の方はひたすら持論を展開して、同意を求めてくるわけですが、それに対して私から不都合なデータや事実を提示すると、目をそらして、ああという感じでスッと流されるのです。

私の提示した内容に対して、論拠を示して否定するというわけでもなく、何か自分の説に反する事実が存在するという概念自体がないといいますか、何の興味もない感じだったのです。

振り返ってみると、その方が求めているのは、あくまでも提示したストーリーや気持ちに対する「共感」であって、「課題の解決」ではない。

私の場合は、政治とは「課題の解決」であり、他にあるはずがないと思っていましたので、噛み合うはずもありません。

市民のニーズに応えるのが政治のテーマだとすると、「共感」に応えるのも、また政治の一面なはずです。

しかし、「課題の解決」を放棄せよと言われも、厳しいなあと思います。

 

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この記事の著者

守谷市議会議員 すえむら 英一郎

守谷市議会議員 すえむら 英一郎

誕生日:1977年9月20日
居住地:茨城県守谷市
学歴:つくば市立 茎崎第3小学校→守谷市立けやき台中学校→江戸川学園取手高等学校→立教大学文学部
趣味:読書、洋画鑑賞、犬の散歩、美味しいラーメン店の探索

2012年3月より、守谷市議会議員として市政に携わる

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