政治は汚い、市民の目はキレイ?

都知事選に関して、今となっては出馬を取りやめた宇都宮けんじ氏(今は鳥越氏の政策的なブレーンになっているのでしょうか)。の政策を見ていて、ピクリと反応する部分がありました。
それはこれ「都民の目で都政をチェックする都民評議会を設置します。」という部分です。↓
スクリーンショット (25)
一見なんてことない無難な政策にも見えますが、その背後には都議会全体への不信感、議会=政治は汚くて信用できない。都民の目はキレイで信用できるといった、問題意識が感じられます。
感覚は分からなくもありませんし、有権者へも支持されるはずという想いがあるから掲げている政策なのでしょう。
 
でも表向き「政治」色の強い都議会だって、選挙で選ばれて、また日常的に有権者と交流しながら活動しているわけですから、その背後には「都民」があります。
そして、表向き「都民」色の強い評議会を設置するにしても、任命するのは都知事ですから、その背後には「政治」があります。
また、可能性として、都知事による任命だとすると、知事にとって都合のよい代理人のような機関にすることも可能です。
舛添氏が連呼していた「第3者の厳しい目で~」の結果がどうなったかを思い出せば、容易に想像がつくでしょう。
 
都民の目で都政をチェックする機関は必要です。
そして、それは都議会の役割のはずです。また、都議会の現状を作ってきたのは、有権者の民意の積み重ねのはずでもあります。
もし都議会の現状に不満があるなら、有権者の手で今いる都議会議員としっかり向い、また選挙を通じて結果を出して、一歩一歩改革を進めるべきで、そこから逃げてはいけないのだと思います。
 
それはすごく大変で根気のいる作業なのでしょうが、その過程すべてが健全な意味での政治であり、民主主義があります。
不満があるからといって、一旦都議会すべてを否定して、都民評議会のような別の機関への置き換えのような、魔法の一手を繰り出しても、けしてうまくいくと思えません。
そこには創意工夫の積み重ねが無く、また都議会議員一人ひとりが背負っている民意を無視するという意味でも、ちっとも民主的でもありません。
 
感覚はわかると申しましたが、このような政治は汚い、市民の目はキレイといった発想は本当に広く支持されているように思います。
ちょっと曇った視点で見てみると、もしそのような支持の一部に、
議会が民意を幅広く背負っていると言っても、民衆は衆愚だから信用できない。それより正しい意見を持った少数の市民の評議によって物事が決められるべきだ。ちなみに何を持って正しい意見を持った市民とするかは、私が決める。
といった発想があるとして、実は目指すのが民主主義の発展ではなく、社会主義の実現なら、誠に適切なのかなあと、そんなことも考えました。私は大反対ですが・・・。

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