意志は能力を凌駕する

政府 尖閣諸島周辺で領海侵入 中国船の動画公開

スクリーンショット (35)
ある日、中国の漁民に扮した武装兵が沖縄県尖閣諸島に上陸。
この事態に対して、日本政府はつい今までの癖が出たのか、「まずはアメリカに相談しよう」「国連安保理に訴えよう」などと判断を保留。
まごまごしているうちに、数日が経過し、占領が既成事実となる。
米国いわく「Too late」。
かくして、武力衝突無しで、ある意味「平和裏」に国境線の変更がなされた。
何て未来があり得るかもしれない。そう感じている方も多いのではないでしょうか。
こちらがどんなにトラブルを避けたいと願っていても、相手の意思さえあれば一方的に危機は起こせる。そんな、げんなりする現実を見せられていると感じます。
 
この中国の漁民に扮した民兵を使うという手は、
・軍隊による侵攻作戦なのか。民間人による大量不法入国なのか。
・変装した軍人なのか。武装した民間人なのか。
・対応すべきは自衛隊か。海上保安庁か。もしかして入国管理局か。
といった点を曖昧にして、こちらの判断を遅らせ、占領を既成事実化する手法です。
民兵ですので、迷いなく自衛隊が出てくれば実力的には蹴散らされるのは自明です。
つまり、向こうは日本政府には覚悟がなく、出てこないと期待している。
ある意味で、わが国の平和主義の姿勢をすごく信頼しているのではとも思います。
実に卑怯なやり口です。
 
ある大物衆議院議員(現在は考えが変わっているかもしれないので匿名とさせて頂きます)は、官僚時代には安全保障政策に関し、かなりタカ派的な考えだったそうです。集団的自衛権行使容認なんて当たり前。
しかし、政府の仕事を通じて国会議員と関わり、そのタカ派的な考え方を大きく改めたそうです。
なぜなら、大物国会議員の先生方はあまりにも「いくさ知らず」だったから。戦争の指揮などできる知識も無い。なによりも覚悟が無い。
だから、いきなり「普通の国」になるのではなく、少しずつ段階的に選択肢を増やしていって、政治家を鍛えていくしかない。そういうことだと思います。
現在でも国会議員の「いくさ知らず」が事実なら、その判断は誠に正しいのでしょう。
 
しかし、政治家という特定少数の責任だけに帰する事ができるのでしょうか。
責任というなら、選挙で選んだ我々有権者の責任もあります。
投票先を決める際、その候補者の安全保障に関する覚悟を問うよりも、例えばお祭りに来て祝儀を持ってきてくれたかどうか。そういったことを優先してしまった場面があったかもしれません。
これまでの積み重ねを通じて、我々には不足しているもの、ついアメリカや国連頼みで良しとしてきたものなどがたくさんあるのだと思います。
一朝一夕で、知識や経験は身につくものではありません。だからこそ、先ほどのタカ派から転身した大物議員の判断も成り立ちます。
 
しかし、知識や経験がなくとも、「意志」を持つことは直ちにできます。
例えば、憲法の理念、つまりは武力による一方的な国境線の変更は今後は無くしていこう、これを守ろうとする意志。
トラブルや危機に巻き込まれること自体を恐れるのではなく、危機を乗り越えていこうとする意志。
それさえあれば、多少の知識や経験の不足は補えるし、また当事者の立ち向かう意志があってこそ、諸外国や国連の支援も得られるのではないか。
そんなことを考えます。
意志は能力を凌駕する。人生すべてにおいてもそうかもしれません。
 
 
 
 
 
 
 

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