善と悪の物語だけでいいのか

テレビの政治関連報道などを見ていると、数多ある課題の中の、これまた数多の視点や切り口から検証しようなどとはせず、それらを極力単純化して、善と悪の2種類の意見しかないように見せようとする姿勢が多いように感じます。
 
自分と異なる意見に対して根拠を示して合理的に反論するのではなく、
根拠を全く示さずに「内心や動機の推定」を行ったり(党内のポスト目当てに違いないなど)、
または「因果関係を勝手に構築する」などし(〇〇と△△は裏で手を結んでいる、お金も渡ったに違いないなど)、
架空のストーリーをもって相手を悪魔化し、批判しようとします。
 
相手を悪魔化することで、相対的に自分を正義の味方に見せようとする手法は単純で分かりやすく、短期的には有権者の歓心を得ることはできるかもしれません。
しかし、そのためにはいつまでも有権者が情報弱者のまま、思考停止してくれている必要があります。
個人でも課題の背景や視点など、その気になれば簡単に調べられる世の中ですので、なかなかそううまくはいきません。
実際に、批判一辺倒の手法が支持率アップなどの成果に繋がる例は少ないように感じます。
 
フィクション小説をぶつけ合うのが政治の舞台ではありません。
事実に基づいて、合理的に数多あるメリット、デメリットを検証し、各人の意見を出し合って最終的に優先順位を決断していくのが、政治の舞台のあり方だと信じます。
もう一つ、本当に自分の仕事に充実感を覚えている人は、他人の悪魔化や批判に夢中になったりしないのではないかと思います。そんな暇がないからです。
そう見ると実にもったいないのではという気もします。
 
 

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