返報性の罠

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本の中にある「返報性の罠」に気をつけろという指摘が気になりました。
「お返ししなきゃ」と思ってしまう心理を悪用されるなという趣旨ですが、プレゼントを渡したりや接待を行う場面には裏ルールがあるという事だと思います。
つまりは、贈り物などで「貸し」を与えられた人は、相手に対してそれ以上の物を返礼するか、ないしは相手に服従して、言うことを聞かなくてはならないというルールです。
 
この裏ルールがあるが故に、政治の世界には、公職選挙法等による縛りがかけられ、例えば現職議員は年賀状すら出せないという、一見バカバカしい事態に陥っています。
とはいえ、「お返ししなきゃ」という心理が誰にでもある以上、ある程度縛りには合理性があるなと個人的に感じています。
 
プレゼントをした、食事を奢った、役職を譲った、選挙で投票したなど、さまざまな場面が考えられますが、貸し借りのようなものが発生したとしても、それは基本的に1対1の関係です。
一方で政治的な、例えば議案に対する賛否など、公共に対する判断を行う場面では、ある1人を向いて考えるのではなく、市全体や国全体などを向いて判断すべきなのが当然の話です。
つまりは、ある人に対して、どんな種類であっても借りのようなものがあるという事実と、市全体を向いて政治的な場面でどのような判断をするかは、基本的に全く関係がありません。
しかし、関係のないことを結び付け、相手に対して、自分の意に沿った判断をしてもらいたいが故に「貸し」を与えようとするというのは、政治の世界ではなくビジネスの世界などでもよくあることなのではないでしょうか。
特に政治的な判断の場面は公共性が高く、より気を付けなくてはならないと常々感じています。
 
そもそも、人にプレゼントなどしたいというのは、純粋で美しい事のはずです。
そして、純粋に相手に喜んでもらいたいだけならば、プレゼントなどを行った段階で、あーよかったと一方的に完結できるはずで、その後相手の返礼があったかなどは全く気にならないはずとも感じます。
にも関わらず、自分がプレゼントをしたという事実よりも、相手からどんな返礼があったかばかりを気にしている人がいたとしたら、その人の本心は純粋な美しいものではけしてなく、攻撃的で支配的なものなのだろうと思います。
 

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