「チーム議会」という志の共有

石川県珠洲市議会の皆様が、守谷市議会へ視察に来て下さいました。

視察テーマの一つに、守谷市議会が毎年行っている事務事業評価(仕分け)があり、私も対応に参加させて頂きました。

 

事務事業評価(仕分け)は、(市が行っている)ある事業について、

「来年度から廃止すべし」「継続すべきだが予算額は〇〇円以上にしてはならない」「こっちの〇〇事業と統合してはどうか」

などなど、さまざまな方向性を議会としてまとめ、全会一致で議決することを通じて、来年度以降の予算編成に影響を与えることを狙うものです。

http://www.city.moriya.ibaraki.jp/gikai/gikai_kaikaku/jigyou/index.html

 

キモは「議決」すること。並びに全会一致の議決とすることではないかと思っております。

単に〇〇議員が、ある事業に対して廃止しろと言っていた場合と、廃止しろと議会が全会一致で議決したというのでは、それこそ天と地の差があります。

 

珠洲市議会の方からの質疑の中で、全会一致がなぜすんなりできるのかというものがあり、ちょっと考えさせられました。

なぜかというと、事業評価(仕分け)に関して全会一致で行うというのは、守谷市議会としてはある種当たり前の文化として根付いており、あまりそこに苦労した記憶はないからです。

根源的には制度しくみの問題ではなく、議員の意識の問題ではないかとも思いますが、要するに「チーム議会」という意識を議会全員が持つ努力をし、一定程度それが成功しているということではないかと感じました。

 

議員個々は、それぞれ異なる支援者から票を頂いているわけですから、「チーム議会」など意識せず、支援者の方向だけを見た活動をしていたとしても、少なくとも選挙は成り立つと思います。

一人ひとりの議員が日常さまざまな活動を行い、市民の要望伝達などを1×20で行う(守谷市議会の定数は20人ですので)。これもすごく大事なことです。

しかし、単独の要望伝達なら自治会などでもできます。

20人が集まって議論して何を生み出せるか。

つまり20×1の場面にも意味合いを持たせなくては、議会として、合議体を形成している意味がありません。

 

議会の中にさまざまな意見の相違があるのは当然ですし、普通に議案を議決する場面では意見が割れることも当然多いです。

しかし、大前提として二元代表制の一翼としての意義を共有しながら、全員で議論した結果をまとめ、来年度の予算編成に強制力を与えるという「チーム議会」としての場面では、全会一致で執行部にぶつけるのが当然という文化があるのは、わが守谷市議会の素晴らしい点と感じます。

 

一方でこうも思いました。

「チーム議会」としての意義をさんざん議論し、共有してきたメンバーが大半だからこそ成り立っている議会文化なのかもしれない。

逆に言えば、仮に議員総入れ替えをしたとして、すべてを新しいメンバーにしたとしたら、簡単に消滅するかりそめの文化なのかもしれません。

 

 

 

 

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この記事の著者

守谷市議会議員 すえむら 英一郎

守谷市議会議員 すえむら 英一郎

誕生日:1977年9月20日
居住地:茨城県守谷市
学歴:つくば市立 茎崎第3小学校→守谷市立けやき台中学校→江戸川学園取手高等学校→立教大学文学部
趣味:読書、洋画鑑賞、犬の散歩、美味しいラーメン店の探索

2012年3月より、守谷市議会議員として市政に携わる

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