当に色々なストーリーが語られるもの

下記は以前に書いた記事なんですが、選挙期間中などは、文書や口頭を通じて本当に色々なストーリーが語られるものです。
そして多くの場合、語られるストーリーの内容と事実との整合性はあまり問題にされないように感じました。
大抵の場合、真偽を確かめようとすらしません。それよりもどんなストーリーが好ましいかが優先され語られます。

「事実」よりも「好ましいストーリー」


好ましさにも基準・目的がありまして、それは相手の事を批判し、かつそれを批判する自分はえらく正しいというスタンスが維持できるという点にあると感じます。
人から冷静に、ストーリーに関する矛盾点や疑問点を投げかけられると、「それはよく分からないけど・・・」などと、思考停止するか、スルーされる場面も見受けられました。
事実がどうかよりも、ストーリーにとって都合の良い事実を取捨選択する心理が働いているのだと思います。
 
しかし、このような心理からは、私も含めて誰しも逃れられないようにも思えます。
要するに世の中はあまりに複雑で、情報量も多い。
人口6万5千人しかいない守谷市という範囲ですら、みんなあまりに忙し過ぎ、すべてを自分で吟味するのは到底不可能なのだと思います。
そんな中で、自分でも信じていない架空のストーリーをぶち上げる、その結果雰囲気で世の中を扇動するなんてことも可能であり、私たちの民主主義はどこへ行くのだろう、なんてことをしみじみ考えたこのごろでもありました。
 
 
 

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