西洋の美術館にあるイエス・キリストの肖像は、イエス誕生、つまり赤ちゃんなのに、
中年男のように描かれるそうです。
赤ちゃんというのは、あくまでも「未熟な」「動物に近い」つまり良くない存在で、
イエス様ともあろうお方がそう描かれてはならないという発想が背後にあるみたいです。
そういえばアメリカ映画の主人公は、若くても35歳くらいが多いですよね。
日本のアニメの主人公が17歳くらいが多いのと対照的です。
中年くらいの人間が、最も「理性的な」「完成された」「神に近い」存在というイメージなのかもしれません。
別に反抗するわけではありませんが、私の場合はまったく逆で、
赤ちゃんの時が最も神仏に近い存在であり、年を取ると共によけいな穢れを身につけて劣化していき、
中年くらいで穢れはピークに達し、年とともに煩悩が取れ、死して神仏に戻るというイメージです。
「神聖さ」の要素として、「理性」「論理」「堂々たる体躯」「人を従わせる強さ」といったものでなく、
「純粋さ」「無邪気さ」「素直さ」「小さい体」「丸さ」などといったものを重視しているからと思います。
また、これは私だけではなく、日本人一般に見られる傾向なのではないでしょうか。
先ほどアニメの例を挙げましたが、日本アニメの特徴たる「萌え」の根源はこの「信仰」にある気もします。
そういった神聖さの面において、我々人間が絶対に適わないのが、犬です(犬だけとは限りませんが)。
・まったく見返りを求めない無条件な信頼
・ただ共にあるだけで喜んでくれる様
・ただそこにある幸せ感
などといった彼ら(彼女ら)の姿勢には、ただただ感銘を受け、圧倒されます。
しかも、年をとっても損なわれる様子がありません。まったくすごいものです。
毎日いっしょにいることで、人として大切なものを補完されているのだろうなと
犬の散歩しながら思う今日この頃でございました。
ベロ出過ぎ犬↓
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