かけがえのないもの

「日本国憲法」廃棄論: まがいものでない立憲君主制のために/草思社
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・立憲君主制は共和制以上に近代にマッチする。
・共和制では誰が特権を持つかあやふやで、誰が持ってもいいように思われる。故に特権の偏りや、それをめぐっての争い、特権の暴走が起きやすい。
・立憲君主制では、君主以外が特権を持つことは許されない。が故に特権の暴走が制御しやすい。
という内容の主張があり、非常に共感する部分を多く感じます。

君主は統治機構の一部であり、同時に神聖で侵してはならない、変えてはならないと感じられるものです。
統治機構に関して改革の必要性を叫ぶ声は多くありますし、私個人もそう信じますが、「どんなに自分の考えに自信があっても、変えてはならない部分はあるのだ」という感覚は、社会に対する巨大な安全装置になり得ると思います。

「すべてを変えても構わない」とすると、正義感に満ち溢れた改革や革命の志が時に暴走し、美名のもとで既存社会のすべてを破壊しようとし、時に世界大戦以上の死者を生みます。
中国やカンボジアなどそのような例が幾度となくありました。

我が国においてはそのような不幸な例はないように思います。
近代だけでなく、過去の歴史においても、我が国のほとんどの権力者(足利義満、織田信長は怪しいですが)は皇室を滅ぼし、自らが取って代わろうなどとしませんでした。
源頼朝は奥州藤原氏や弟の義経を滅ぼしたのち、対抗できる者のいない最高権力者になったと思いますが、あくまで朝廷から征夷大将軍に任命してもらい、臣下の形式を崩しませんでした。
これは日本史的には当たり前ですが、世界史的には奇異なことだと思います。

このような伝統は他者への信頼と社会の安定を担うかけがえのないものであり、他国が絶対に真似できない我が国の強みです。
ご先祖の英知に負けず、この強みを失わないような形の改革が必要だと考えます。

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