本日、午前中は広報特別委員会で議会だよりの編集会議、午後からは地方創生特別委員会にて、地方創生総合戦略に関する協議が行われました。
午後の会議に関しては、13:30~17:30までびっちり、非常に詳細な議論が行われました。そして、一部会議の経過について、今日はいささか怒りました。
守谷市議会として、あまりにみっともない話ですので、詳細はここには記しませんが(興味のある方はお手数ですが議事録をご覧ください)
●相互に意見を出し合い、発展昇華させてよりよい意見を作り上げようとするという、なぜおよそ全員参加の委員会で議論しているかという、根本的な意義への無関心。
●リスクを背負い、時間を使ってアイデアを出している議員への配慮のなさ。
●合議により結論を出すのではなく、一部の委員で考えた結論ありきで「脚本」を推し進めようとする乱暴さ。
などについて、心底憤りましたし、いささか乱暴な口調での発言となりました。
1年生議員がなにを生意気なというご意見があることも承知しておりますが、1年生議員だからこそ、おかしいと言えなくなったらおしまいだという思いもあります。そのような意味で怒りの口調をもって発言したことも含めて、全く後悔しておりません。
議員活動の1期目も終盤に差し掛かってまいりましたが、最近とみに怒りを感じることが、議員になりたてのころよりずっと多くなりました。経験を積ませて頂き、政治の世界のしくみや景色がより見えるようになったからだと思います。
我が国において怒りは、はしたないもので、ひたすら抑えるべきものという風潮があります。
しかし、最近思うのが怒りを感じるということは、少なくとも自分の中でこうあるべきだという倫理や正義に関する基準があるということであり、必ずしも否定されるものではないのではないか。
もちろん、怒りに引きずられて暴走してはダメです。しかし、怒りをコントロールする=抑えるを必ずしも意味しないのではないか。
感じた怒りを自分の中で大切にし、育てることもまた大事なのではと考えております。
少なくとも、何に対しても怒りを感じることすらできずに、既存の人間関係の中で「うまくやる」ことだけ考えている議員は、行政へのチェック機関としては何の役にも立ちはしません。
コメント
この記事へのトラックバックはありません。
この記事へのコメントはありません。