昔の関東の平野部は、大蛇のように川や沼が入り組んだ、湿地の多いグズグズの大地だったと初めて知った時は驚きました。関東だけでなく、わが国の平野部にはそのようなエリアが多かったそうです。
利根川は、今とは違って直接東京湾に注ぎ込み、荒川などとともに今の都心一帯において大湿地帯を形成しており、西から来ると、湿地帯に阻まれて、現在の房総半島方面には進めない「地の果て」だった。
だから、房総半島に上陸しようとしたら、鎌倉辺りまで来てから東京湾を渡って行くのが普通だったので、現在の千葉県の南の方が「上総」で、北の方が「下総」なんだそうです。
川岸や海岸がコンクリートの堤防で覆われている景観を見て、何と醜いのだ、昔は自然豊かで良かったと嘆く人物が出てくるフィクション作品を読んだことがあります。
しかし、岸に堤防を作るどころか、私たちの祖先は川や沼の流れを変えたり、埋め立てて消失させたり、ものすごいことをしてきました。
その結果として、多くのグズグズの大地が乾いた土地に変わったのはもちろんの事、川の氾濫や洪水もずいぶん減ったことでしょう。
逆に言うと、今よりもしょっちゅう水害や洪水で家屋が破壊され、人が死ぬ状態が「自然」なことだったのですが、その点も含めて「自然」であるべきだと、件のフィクション作品の作者は言うのだろうかとちょっと考えました。
そもそも、私たち人間も神仏の一部ですから、私たちの営みや技も「自然」のあり方の一つなはずではないかとも思います。別に人間vs自然にあえてする必要もありません。
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