インド、マニプール州インパールにて、インパール作戦に関する平和資料館開設式典、戦没者の慰霊式典等が行われ、縁あって私も参加させて頂きました。
日本財団の支援により、激戦地であった「レッドヒル」の近くに建設された施設です。
同財団の笹川陽平会長や平松賢司駐インド大使をはじめ、マニプール州や英国大使館などから多くの関係者が訪れ、とても盛大な式典となりました。
インパール作戦75年で慰霊式=遺品展示の資料館も開館-インド(時事ドットコムニュース)
八角形型の特徴的な外観の施設で、中には展示ホール等があり、作戦に参加した兵士の遺族からの寄贈品、地元インパールの方々が発掘した不発弾などが展示されています。
妻の祖父、第33師団213連隊に所属していた稲葉茂氏が書いた手記も展示されていました。
地元インパールの新聞では、翌日一面で大きく取り上げられていました。
記者会見にもたくさんの方が来ていましたし、関心は高いようでしたが、地元記者の方からの質問内容が、
例えば平和資料館の他にどんな施設を建てる計画があるのか、人材交流支援事業等は予定されているのか、いつ行われるのかなど、要するに「(日本や英国はマニプール州に)何をしてくれるのか」「何をくれるのか」といった趣旨のものが多く、少し温度差を感じると共に驚きました。
その後もっと驚くことがあったのですが、地元記者の一人から、日本からの参加者に個別に取材をさせてほしいとの申し出があり、私も30分ほど取材を受けることになりました。
例えばインパール作戦について、日本の学校等で取り上げられるか、若い世代の日本人は知っているのかと聞かれ、
個人的には学校教育等で特筆された記憶はない。戦史等に関心のある人なら当然知っているが、インパール作戦と聞いて、なんでしたっけという感じの人も特に若い世代には多いかもしれない。などなど率直に感じたところを答えさせて頂きました。
私と年齢の近い記者さんだったこともあり、こちらからも逆に聞いてやろうと思いたちまして、地元インパールでは、戦争や日本兵について、どう語り継がれているのか、どんなイメージをもっているか、など伺いました。
すると、飢えた日本兵が、どこどこの田んぼやとうもろこし畑に入って食べていたらしいなど、細かいリアルなエピソードを紹介されながら、極限状態でも秩序や勇気を失わなかった日本兵の態度は感嘆をもって記憶され、今でも尊敬されているといった趣旨の事を、それはもう熱心に語ってくれました。
とても驚きまして、今言って頂いたことを持ち帰りたいので、メッセージを書いてくれないかと、その辺にあった紙を渡してお願いしたところ、快く書いて下さり、しかも3行くらい書いてくれれば十分と思っていた所、何と20行くらいびっしりと書いてくれました。
日本とインパールの建設的な交流という趣旨の式典ですので、日本からの出席者に対して気を使うといいますか、あえてネガティブな事は言わないような側面はあったかもしれません。
しかし、記者さんの熱心なお話しぶりやメッセージは本物だったと思います。
日本人は尊敬されているという趣旨のご意見は、すべてではないにせよ、少なくともインパールにおける真実の一つではあるでしょう。そう感じました。
最後に日本財団、笹川陽平会長や同行させて頂いた方々と。
素晴らしい方々と同行させて頂いたことを光栄に思います。また、貴重な経験をさせて頂きまして感謝申し上げます。大変ありがとうございました。
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