週末は2日間に渡り法政大学市ヶ谷キャンパスで開催された、市民と議会の条例づくり交流会議2017「議会のチェック機能を本気で考える」に参加してきました。
主なテーマとしては自治体の監査制度のあり方、議会から選任される監査委員の是非、議会基本条例の今後の課題などについて。
研修の中で一つ記憶に残るやり取りがありました。
※私の記憶からだいたいの趣旨を抜粋したものです。
Q:あえて議会報告会の開催などを行い、市民の意見を聴収する必要はないのではないか。
なぜなら議会議員は選挙で選ばれており、民意を背負った議員が出した結論は民意を反映しているはずだからという意見があるが・・・。
A:一理あるが、議会にサラリーマン世代が少ないなど、議会の構成と市民の構成には乖離がある場合が多い。
また、選挙は人気があれば当選するので、議場において適切に議論を行えるかなど能力の基準で選別がされていない。
従って議会が不足している部分を市民との意見交換で補う必要もあるのではないか。
質問したのは(多分)議会議員、答えた講師の方は3名で、大学の先生、某自治体の議会事務局長、同じく元事務局長の方でした。
しかし講師の方の答えを聞いても、なお私は質問者の疑問は否定されていないと感じました。
・サラリーマン世代が市民には多いが、議会には少ない。→サラリーマン世代が立候補しないのも市民の意思である。
・人気だけで当選して議論が不得手な議員がいる→それでもその人が良いという判断が民意であるはず。
こう考えると、やはり依然として質問者の趣旨は的を得ているなと感じます。
仮に議会改革を全く進めず、あまり議論が活発に行なえない議会であった結果として、例えば自治体の財政破綻のような不幸を招くことがあったとしても、それもまたそのような議員を選んだ市民の責任と言う事はできます。
恐らく、講師の方々、特に議会事務局長の方々は、その職務経験から議員が必ずしも適切な質疑、建設的な討論などができない場面を見てがっかりしたことがあったのだと思います。
その結果、議員間の活発な討議の重要性、(市長とは違い)合議体であるという議会の特性を活かした政策立案過程の研究など、議会改革の理論をシャープに洗練させていったのではないかと考えます。
しかし、それは悪い意味ではなく、選挙を前提としない行政のロジック、学者のロジックなのではないかと思えます。
つまりは、議会議員の行動原理の少なくとも中心にはなりません。なぜなら上記のような議会改革の論理を市民の多くは必要と感じていないからです。要するにそのような人は選挙で勝てない。
議会改革の先進自治体において、その改革の中身を作り上げる主体が議員ではなく、行政の職員である議会事務局であったという現実も象徴的だと感じます。
職務上のアイデアの訴え方、アプローチの先をどうするかなどを含めて、いろんなことを考える機会となりました。
また、全国からやってくる他自治体の議員や行政職員の方々との交流も、目線が変わって刺激になります。地元に引きこもっているだけではなく、定期的にこういう場が必要と実感します。
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