故意なき失敗は許されなくてはならない。嘘や隠ぺいが見逃されてはならないと思います。

今回の一般質問は、今はなき「見えバス」について取り上げる予定です。
一般質問通告事項一覧(令和元年度6月定例会)
細かい点もありますが、根本的には(故意なき)ミスや失敗を攻め続けるのは無益だが、隠ぺい等があったとしたら話は別である。そんなテーマなのかなと考えております。6月14日㈮の午後に登壇予定です。

「見えバス」がスタート。バスが利用しやすくなります

「見えバス」の継続が危ぶまれています


「見えバス」は、ある種失敗した新規事業とも言えるものですが、行政の職員は万能ではありませんし、事業によっては相手もあることですから、新規事業を始めて百戦百勝といかないのは当然です。
仮に失敗自体をけして許すことなく、いつまでも攻め続けるとしたら、たいてい材料は多くあるので批判するのは比較的簡単です。
すると、最終的に行政としては、失敗する可能性を無くすために、一切新しいことには挑戦しないという極めて後ろ向きな態度をとるしかなくなるでしょう。
それは、けして市民福祉の向上につながるとは思えず、そのような観点からも、故意なき失敗は必ず許されなくてはならないと考えます。
 
逆に、嘘や隠ぺいがあったとしたら見逃されてはなりません。
なぜなら、何かしらの失敗をしたとして、その経緯等が隠ぺいされてしまったとしたら、同じ構造の失敗再発を防ぐことができなくなります。
見えバスに関しても、嘘は無いとしても、なぜ失敗したのか、経緯やプロセスが十分にオープンにされなかったとしたら問題です。
受け止め方の問題、主観的な話にもなりますので難しい面もありますが、少なくとも市民の方から、「見えバス」はまるで無かったことのようにされているのではないか、というご指摘を頂くことはありました。
少しでもそのような疑問を解消できる登壇機会とできればと思っています。
 
一般論ですが、ある新規事業に挑戦をした後に、生じた結果や事実を積み上げて、そこから成功・失敗を判断するのが普通だと思います。
しかし、市民から批判を受けることを恐れる心情からだと思いますが、この事業は成功であったという結論を先に決めてから、結論にとって都合の良い事実のみを拾い上げて説明していく、一方で都合の悪い事実は黙殺するという、真逆の思考プロセスが行われることも時にあるように感じます。
ちなみに、先に決めた結論に合わせて、適切な整合性のある文章を作る、こういった点に関する行政の能力は本当に抜群です。
惚れ惚れするような整合性に惑わされることなく、行間を読んだり、取り上げられていない材料を調べ上げたりしつつ、瞬間的に矛盾をその場で指摘できる瞬発力のようなものが、議員活動においてはとても重要であると感じています。
 
 
 

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