ウスアマクなります

政治思想、イデオロギーに関する表現が多々あります。

例えばリベラルという表現ありますが、

リベラルとはリベラリズムの省略形であり、日本語にするとリベラリズム=自由主義のはずです。

カタカナで言っても、漢字を並べてもどっちでもいいはずなのですが、

「私はリベラルだから」と主張する人は、「私は自由主義者だ」とはまず言いません。

一方で、リベラルの対立軸のように語られるのは「保守」だと思いますが、

「私は保守だ」と言っても「私はコンサバティブだ」とはまず言いません。

これには日本語の語感のようなものが絡んでいると感じます。

つまり、漢字を並べると重厚に、カタカナ横文字だと軽い感じになります。

例えば「国家主義」と言うと、どうも深刻になりますが、「ナショナリズム」だと薄まった感じがして、比較的気軽に受け入れる気になるのではないでしょうか。

この2つの表現を見事に使い分けている文章を読んだことがあります。

 「日本の国家主義」と「中国のナショナリズム」だそうです。日本の国家主義は悪いことだが、中国の国家主義は、良い国家主義なのだと言いたいのだと推測されます。

先ほどの例では、「保守」の人の場合は、愛国心だとか、伝統美だとか、重かったり、人によっては暑苦しいと感じる

言葉を使うガンコものタイプが多く、重く感じられることを嫌がらず、むしろ本望に思う人が多いのかもしれません。

逆に「リベラル」の人は、それを好まず、軽く、さわやかに思われたい人が多いのかもしれません。または、リベラル=革新勢力=いい人だのような、社会主義的空気が残っているのかも。

政治信条理念に対する覚悟、真剣さは絶対に必要だと思います。

私はみんなの党ですし、ずっと前から「自由」に関して格別な思い入れのようなものがあります。

だから絶対に「私はリベラルです」とは言わないようにしようといつも思っています。

もっとも、そんなことを主張する機会は最近ありませんが。

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