シビリアンコントロールという概念は無いようです

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日本だったら一自衛官の発言が、たとえ高級将校だったとしても、ニュースのネタになることはまずないでしょう。

政治家や一般公務員や軍人などの特別職との境目があいまい、ないしは無いのがかの国の特徴です。

「社会主義国」なのだから当たり前かもしれませんが。

「一戦」を辞すか辞さないか、決めるのは日本的感覚では、「政治家」であり、「軍人」ではありません。

この区別がなければ、共産党内での権力争いや勢力分布によっては、「軍人」的な立場

にいる人が「どうやるか」ではなく「そもそも何をやるか」まで決めてしまう事になりかねません。

「軍人」的な職種の人は発想が技術屋的になることが多いように思います。

つまり「できること」と「やるべきこと」の区別がつきません。

これは大きな悲劇の元になり得ます。

この種の構造は、戦争関連に限定されませんし、日本でも同様のことが起こりえます。

議会が何も考えずに、行政の提案を丸呑みし続けた場合、市民の生活を脅かすような失敗に繋がりかねません。

何十年も前の実情に沿わない、例えばダム建設計画などが、「官僚的」理屈で継続し、

議会などが阻止できない、そういった実情もあります。

大きく見ればけして人事とは言えないと思います。

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コメント

  1. 文章がないですよ~

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