〇〇主義やイデオロギーではない

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「私の分かっていることのすべては、ただ、私自身はマルキストではない、ということだ。」(マルクス リュベル「マルクスへ帰れ」より)
多分ですが、マルクスは自分の感性を基に観察し、考察し、時代と必死に格闘しながら主義を形作っていったものと思われ、既存の定型的なイデオロギーに盲従したわけではないものと思われます。
〇〇主義やイデオロギーになってしまうと、イデオロギーに基づく考え方のパターンのようなものができてしまい、それらに従うのが作法のようになってしまい、思考が〇〇主義ありきで自由でなくなってしまう。そのようなこともあるように感じます。
最近は、国の安全保障関連の議論が活発ですが、単なるイデオロギーに基づく「作法」のぶつけ合いで、共通の論点を見つけて深めようといった、噛み合った建設的な姿勢が与野党双方になかったように感じられました。
他にも原発や税と福祉の関係など、さまざまな分野で、〇〇党だから、〇〇主義だから、それらの問題に関してはこのように考えるのが「作法」だという感じで、定型的なロジックが使い回されたりします。
大切なのは、自分の立場で自由に考えて、感じてその問題に対してどう思うかであって、自分の考え方が〇〇主義者の作法に合っているかとか、〇〇党にふさわしいか、右翼だの左翼だのといったことは、本当にどうでもよい。
冒頭のマルクスの言葉は、そのような意味で、〇〇主義自体が目的化してしまう危険性を警告したように感じました。
「正解」を外部に求めてしまうのは、楽ですし、私だってかなりそんな部分があります。
しかしそれだけでは、あまりにつまらない。イデオロギーや主義に囚われずに自由な発想ができればと願います。

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