「ヴィンランド・サガ」というタイトルの漫画作品です。
歴史モノの物語はかなり好きでして、中世アイスランドのヴァイキングの物語という時点で、読まずにいられない感じです。
作中の会話で、クヌート王子(後のクヌート1世)が飲んだくれの坊さんとの問答で一つ悟り、成長するシーンがすごく好きです。
「愛とは差別である」
「人を愛するということは、他の誰かよりも大事にするということ。時に愛する人の安全のために、見知らぬ何十人もの村人を犠牲にすることを容認させる。すなわち差別である」
愛する、すなわち他の誰かよりも大事にするということのエゴイスティックな一面を強調した至言だと思います。
クヌート王子は、愛という高尚なはずのものさえ、差別としてしか表現できない、そのように生まれついてしまった人間を悲しみ、そしてそのような現状を見守っているだけの神に対して、心底怒ります。
その後、怒りを原動力として、時に鬼にもなって権力闘争に打ち勝とうとしながら、自らの手で地上に少しでも楽園を作ろうと、、行動していきます。
私は犬や猫が好きでして大事にしますが、ゴキブリのことはけして大事にしません。要するに個人的な好みを基準として、命を差別しているわけです。
また、多くの人はきれいな花を好みますが、きれいな花を咲かせるためには、他の多くの植物を勝手に「雑草」と呼んで引っこ抜いたりしますし、植物の命を差別しているともいえます。
ですが、差別と見れるような、矛盾点、不完全な点もあるからといって、何かを愛する大事に思って守ろうとする行為は、けして無意味ではないと思いますし、我々のそのような行動をも、神仏の一部ではないかと信じます。
ですが、差別しているだけではないかと疑うことは、自分の行動を客観視し、他の人の価値観を含めて冷静に平等に見るのには、役立つかもしれません。
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