過去と現在の選択

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人によっては残酷で不愉快に感じる話ながらも、誰もが見ようとしない新たな視点を教えてくれた本です。
学校生活において、歌が下手でも、走るのが遅くても、鉄棒の逆上がりができなくても、それらは優先順位が低いといいますか、できないままでも個性の一つとして放っておいてくれます。
しかし、学業成績になるとそうではない面がある。
すべての子どもに対して、努力次第でできるようになるのだからと、励ましながらも成績を上げることが求められます。
これは、どんな人でも努力次第でできるぞという、暖かい救いの言葉のように見えて、その裏には勉強ができないままでいることは認めない。学業成績は子どもの将来や評価に直結するのだからという冷酷なロジックも含まれています。
したがって、歌や逆上がりのようにできないままでも、その子供の個性として認めてくれることはない。
これはどうしても勉強が好きになれない、苦手な子どもにとっては、途方もなく過酷で逃げ場のない話になりかねません。だから、一定数必ず不登校などが発生する。
本当の救いとは、勉強できないと将来損をするぞというロジックそのものを否定すること、できないままでも個性として認められ、さらに社会に出てからも困ることはない、そんな社会を作ることなんでしょう。
そんなことは分かっている。でも現実問題として、勉強できないと社会に出て損をするのは間違いないのだから、強制してでもやらせるのが子どものためだという親心なのかもしれません。
本の中では色々な話題があるのですが、この話題が心に残ったのは、私が高校生のころ、いつもいつも自身が学生の頃に十分勉強しなかったことへの後悔を語り、だから勉強しろと励ます先生がいたことを思い出したからです。
励ましのふりをした愚痴だったような気もしますが、自分自身の過去を消化するのは、その先生の問題であって、他の人をましてや子どもを巻き込むべきではないよなと思います。
過去に押しつぶされてその場で停滞してしまうのは、その人の現在の選択です。
どんな過去があっても、明るく夢をかなえて幸せになることは可能ではないのか。
そんなことを考えました。

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