怒りと感情への不感症

怒る技術 単行本 – 2003/2/17 中島 義道 (著)

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本の中で触れられている、ある酒乱の暴力夫に悩む女性の話が印象的でした。
・しょっちゅう乱暴をされて、そのたびに実家に帰る
・しばらくすると夫から「反省するから帰ってこい」との電話があり、絶対反省しないことは内心分かっているのに、一応また戻る
・数日後に同じことを繰り返す という環境が続いていた。
そのうちに慣れてくるというか、夫の理不尽さに対して不感症になり、怒りを感じなくなってきたのを自覚したそうですが、重大なのは、その後別の友人と話している時に、友人の怒りや感情に対しても不感症になっているのに気づき、はったしたそうです。
 
内心はきちんと分かっている理不尽さに向き合わないで、自分自身の感情すら押し殺し、感じ取れなくなっている人が他人の感情を理解できるわけないというのは、道理だと思いますし、そのような状況が続くと、他人とのつながりを徹底的に切り捨てる人生になってしまうような気がします。
内心感じる不快感や疑問を放置せず、きちんと分析して向き合う勇気や行動力が重要で、それをせずに例えば、自分も悪いのだから仕方ないと自罰的に思考停止してしまうのは謙虚さの現れではなく、ただ目の前の不快感から逃げたいだけであり、怠惰なのでしょう。
 
怒りの感情は一般的に、ただはしたなく、協調のために押し殺すべきという風潮もありますが、怒りを感じるということは、自分にとって何か大事なこと、守るべきものに触れているからです。
その怒りの感情を外に表現するかどうかはともかくとして、自分の中で押し殺す必要はまったくない。そして、著者の表現を借りれば、「怒りを育てる」のは自分自身の価値観を育てることにつながるのではないかと思います。
 

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