新年会等を回った方が良いか

本日、ある市民の方から意見交換やアドバイスを頂く機会がありました。
自主防災組織のあり方、防災に関して他の自治会との連携など、非常に前向きな問題意識をお持ちの方で、建設的な意見交換を行うことができました。また、本当に善意ある心からのアドバイスも頂きましてとても有難く思います。
その方には本当に心からのアドバイスを頂けたと感じていますし、不満等があるわけでは全くないのですが、ただ1点だけ、「もっと各地の会合や新年会等を回った方が良い」というアドバイスについては、意見の相違といいますか、いささか引っかかりました。
 
心に引っかかったことや感じた疑問、不快感等は放置せず、とことん突き詰め、言語化して考えていくことが大事だと思いますので、その後も地域回りをしながらなぜ引っかかったのかを考えていたのですが、
要するに、例えば自治会の新年会ならば、それは最初から最後まで「新年会」であるべきなのだと思います。
地域の方と意見交換を行うことは不可欠ですが、それは新年会という機会を利用せずともできることです。政治家だから、地域のイベントを自らの政治活動に「利用」する権利があると考えるのは大いなる勘違いではないかと感じます。
普通に一参加者として新年会等に参加し、もちろん正規の会費を払い、交流を最後まで楽しむのなら全く疑問は感じません。
しかし、最後まで参加することなく少しの時間だけ出て一方的に話す機会をもらい、実質的に自分の報告会のようにしてしまうのは如何なものかと感じますし、ましてや少しあいさつだけして、その後会費と称して多めのお金を置いて、複数の会合をはしごするに至っては、良く言えば寄付行為、悪く言えば買収になるのではないかと思います。
 
新年会やお祭りなどのイベント等に、議員が手ぶらで行くと「あれ手ぶらなの?」と問われることもあるようで、つまりは会合等には政治家がお金を持ってくることを期待する、それこそが当たり前の議員のあり方だと考える民意があることは承知しています。
同時に、必要以上のお金を置いて回るのは買収とまでは言わなくても、少なくとも下心はあるだろう。そんなことだから政治家は信用できないんだ。私たちの会合を「利用」しないでくれと考える民意もあるのではないかと信じます。
 
多分、多くの方に「甘い!」と言われるのでしょうが、このような感覚を維持すること、染まらない部分を残すことは、ある根本的な部分で死活問題ではないかと信じます。
また、最後に念を押しておきますが、アドバイスを頂いた方は、本当に真摯に私のことを心配してアドバイス頂きました。ただ、申し訳ございませんがこの1点に関しては少し頑固にいかせて頂こうと思います。
 
 
 

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