主に野党再編に関連して、「リベラル勢力の結集」といったことが語られます。
この「リベラル」というぼかした表現が私はあまり好きでなく、「リベラル」とは一体何か。なぜはっきりと「自由主義」と言わないのかと良く思います。
自由主義と言ってもさまざまあり、古典的な自由放任主義、とことん政府の機能の最小化を目指すものだけではなく、政府の介入による富の再分配を肯定した社会自由主義的なものもあり、一般にリベラルというと後者の方に近くなるのかなと思います。
とはいえどちらも自由主義は自由主義でして、個人の人権や私有財産権の保障、民主主義=政府への自由などの価値観は、けして譲れないはずです。
しかしながら「私はリベラル(自由主義者)です」と称する人が、上記のような「自由」から遠く離れた体制である中国や北朝鮮などの現状を批判せず、むしろ称賛するような言動を繰り返す事例は良く見られます。
要するに内心では、権威主義や全体主義、社会主義的な統制経済などにシンパシーを感じているのだが、私は「全体主義者です」「社会主義者です」と言い切る度胸はない。
とはいえ「私は自由主義者です」と言ってしまうと明白に違ってしまうので、横文字カタカナでリベラルと称することでその辺りを何となく隠ぺいしたい。
加えてリベラルという表現の持つ、自由っぽい良いイメージを利用できるという効果もある。
といったストーリーが思い浮かびます。
横文字カタカナにすると、きつさが薄まり中立的になるというのは日本語の特徴ではありますが、曖昧になった分はしっかりと考えて考えていく必要があります。
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