最強の権力者=責任者

今回の参院選、全国平均だと投票率は54.7%で歴代4位の低さだったそうですね。
ちなみに守谷市内の投票率は55.28%。国政選挙に関しては、全国平均より高い数値が出る、いつもの傾向です。
今回の参院選は、特に18歳からの選挙権導入が始まったことが注目されましたが、私の周りでも「投票に行ってもどうせ変わらない。だから投票に行かない。」という声を聞きました。
 
「変わらない」の主語は何なんだろうと思います。
(政治の世界は)変わらない。(政治家は)変わらない辺りでしょうか。
いずれにせよ、主語は自分たちと関わりのない世界の人たち、そんな感覚があるようで、正直如何なものかと感じました。
つまり、(私たちが)変えない。(私たちが)変えてこなかったと自分たちを主語に多くのが合理的だと思うのです。
実際に舛添氏の辞任への経緯を見るように、世論の力は圧倒的です。都議会のベテラン議員だろうが自民党の重鎮だろうが、そこには逆らえません。
政治の世界の人間は、選挙を前提として活動している以上当たり前といえば当たり前です。最強の権力者は、特定の政治家ではなくあくまでも有権者と言えます。
 
同時に、権力があるは責任があることも意味します。
政治家を含めて、公務員は一般に市民一般から批判を受けても反論してきませんので、反撃されるリスクなしに批判ができてしまいます。
従いまして、

・参院選の比例区のしくみがわかりにくい。政治の広報が足りない!説明責任を果たせ!

・誰は立候補しているかわからない!政策がわからない!周知する努力をしろ!

 
などなど、立候補者や政党、政府などに対して、〇〇が足りない!〇〇をしろ!と「やってもらうこと」を並べることは安易にできます。
しかし、一方で私たち有権者一般が立候補者や政党、政府などに対してやるべきこと、見ようとしなくてはいけないこともあるのではないかとも思います。
多くの有権者は、選挙広報やチラシなどを配ったり、活動や想いをブログなどで配信したりしていますので、調べようと思えば簡単に分かります。
また、参院選の比例区のしくみがわかりにくいなと感じるなら、近くの選挙管理委員会に電話すれば、懇切丁寧に教えてもらえるでしょう。
そういったことを調べようとする、それは有権者=最終責任者として必要なことと思いますし、調べて考えれば、投票しても変わらないという感覚は少しは軽減できるのではないでしょうか。
 
もし、一切のギムは放棄し、フクシのみを食い物にしたいと私たち一般が願うようになったとしたら、どこかの時点で私たちの民主主義は機能しなくなるのでしょう。
そんなことを考えました。
 
 
 
 

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