ハルフィンポストの鳥越俊太郎氏へのインタビュー記事ですが、突っ込みどころが多すぎて、正直愕然としました。↓
・60年安保くらいまでは日本のリベラリズム、市民運動というのは存在した。
・しかし高度経済成長で、昭和40年代から右肩上がりに豊かになっていく中で、市民運動は反公害運動を除いて、どんどん潰れていった。
ここまではともかくとして、
・今では、日本会議という今まで見たことのないような組織が結構力を持つようになった。
・それから在特会(在日特権を許さない市民の会)という、本来ならば絶対日本ではありえなかった差別を平気で、ヘイトスピーチを口にするような人たちが許容されるようになった。彼らがデモをするような時代になった。
に至ってはどういうことだと思います。
市民運動とは何ぞやという話ですが、強烈な権力へのコネクションなど持たない、ごく普通の市民が行う草の根の言論活動や政治活動であって、少なくとも、「何を主張しているか」で決まるものではないと思います。
「反政権」が市民運動なら、「親政権」であっても、それもまた市民運動であるはずです。
そもそも、政権は国民の投票や支持で成り立っていることを考えれば、新政権であることが自動的に罪となるはずがありません。
鳥越氏は上記の記事を見る限り、日本会議や在特会、つまり自分の意見の異なる団体が存在感を増したり、デモを行っている現状を憂いているようです。
その自主性を尊び、誰でも活動ができるのか市民運動のはずですが、
自分の意見と異なる団体は、運動やデモをすべきでないと考えているとしたら、恐らくその人が真に尊んでいるのは、けして行動する「市民」ではなく、自分の意見にひたすら同調し、自分が世論を導くエリートであることをいつまでも確認させてくれる、「追従する大衆」ではないか。
そんな疑問を抱きます。
鳥越氏は「世論調査と内閣の支持率を見ると、今の国民ははっきり言うと、ボケてますよ。私に言わせると。」と言い切ってもいます。
果たして国民はかつてと比べて、騙されやすくボケているのか。
私は全然そうは思いません。
マスコミ関係者など、特定の職業の人でなくても、自由に言論や情報発信が行えて、さらに双方向でアクセスもできる。
そんな良い時代ですが、かつて情報発信を独占していた既得権者からすると、不都合な面があるのかもしれません。
そんなことを考えました。
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