個人の自由の尊重という視点が欠けています

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140703-00000052-asahi-pol
朝日新聞デジタル 7月3日(木)23時0分配信
月の衆院総務委員会で、日本維新の会の上西小百合(うえにしさゆり)議員(31)=比例近畿ブロック=が質問中、委員会室にいた男性議員から「まず自分が子どもを産まないとダメだぞ」というヤジを受けていたことがわかった。東京都議会で塩村文夏(あやか)都議(35)に対する女性蔑視のヤジが問題になったばかりだが、国会でも行われていた。(以下省略)
東京都議会に続いての、女性議員へのヤジですが、ヤジの内容としても共通しています。
これらのヤジの発言者は2つの面で自覚に欠けているように感じ、疑問に思います。
①ヤジという卑劣な手段へのためらいがない
ヤジの内容は一般に議事録には残らず、市民からはその発言内容はわかりません。
せいぜい「笑うものあり」などと行間に記載されるくらいです。
ちなみに、都議会のように一般質問の時でも、質問者以外でも手を挙げて議長に発言を求めれば、発言をすることはできます。
つまり、発現する手段がないから仕方なく「ヤジ」という手段を取ったということはあり得ず、ヤジという手段によって匿名性を盾にしたかったと考えるのが妥当です。
意見があれば堂々と記録の残る場で主張するば良いと思いますし、匿名性を盾にしなければモノも言えないとしたら、議会という議論の場の担い手としては、あまりに頼りなく思います。
②出産等は個人の自由という視点がない
そもそも結婚するか、出産するかなどを含め、個人のライフスタイルは自由で、人や社会に強要されるものではありません。
政府の少子化対策有識者会議の提言等を見ても、「産後ケア」の充実、新婚夫婦への住宅支援など経済的支援、不妊に悩む夫婦への相談・支援体制の強化などが挙げられております。
あくまでも生みたいという人の支援を薄くしてはならないという視点が貫かれ、人は必ず結婚して出産しなければならないという人生観を強要することにより、少子化を解決する視点は無いように感じました。
議員にななりたての頃、ある先輩議員から
「どんなにこの人の言動は到底理解できない、正しいとは到底思えないとしても、その人の背後にも当選するだけの市民の信託がある。つまり一つの正解なのだ。
正しさにはさまざまな形があり、少なくとも自分に共感できることのみが正しいとは言えない。
自分なりの正義や主張は貫くことをためらってはいけない。その上で理解できずとも、同僚議員の意見は尊重して、消化できるだけの懐、器を作れ。」といった趣旨のことを言われたことを思い出します。
都議会の鈴木議員の会見では、「少子化、晩婚化で早く結婚して頂きたい思いがある中で、あのような発言になった」との事でした。
私は、鈴木氏はヤジをした場はおろか、釈明会見の場においても、結婚しなくてはダメだと人に強要すること自体が、個人の自由への敬意が欠けていて、そもそも失礼なことなのだという視点は無かったのではないかと疑います。
個人の自由の尊重、さまざまな形がある正しさの許容という姿勢もなく、議員の仕事は特定の「正しい考え方」を国民に示し、強要することであるといった発想があるとしたら、民主主義を誤らせるような気がします。
わが国は社会主義国家ではありません。

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