合議の価値

都議会自民“崖っぷち” 豊洲移転の延期追及から一転…世論は小池百合子知事を支持 2016.9.16 08:40 産経ニュース

 
都議会の評判はたいそう悪く、逆に小池都知事の評判はたいそう良いようです。
豊洲新市場の問題に関しては、私は語るべき見識もございませんが、今回の件が豊洲新市場の問題だけでなく、「議会不要論」に繋がるのではと懸念しています。
 
しかし、議会という機能が本当に不要なのか。
確かに首長にはスターのような魅力のある人も多いですし、一人しかいないことから、周囲との合意の必要も少なく、素早い決断ができます。
首長も議会議員も両方選挙で選ばれる存在なのですから、首長だけいれば民主主義は成り立つ、そのように考えることもできます。
 
しかし、議会には「合議」という首長が持ちえない機能があります。
都会暮らしが好きな人と、田舎暮らしが好きな人、どちらの生き方が正しく、どちらかが間違っているわけではありません。
しかし、都会暮らしが好きな人と、田舎暮らしが好きな人は一つの屋根の下に同居することはできない。どちらかを選択しなければなりません。
また、何を選択するかではなく、どこからやるか、どれくらいやるかといった程度の問題もあります。
このように私たちが公に決断しなくてはならない場面では、黒か白かの2者択一ではなく、両方が正しい、でもどちらを選択するか。あるいは、どれくらい選択するかといった判断が要求されることも多いように思えます。
そのような場面において、深い正解に近づくためには、一人のスターによる迅速な決断よりも、合議による深みの追求が役立つ場面も多くあるように思えます。
 
そのためには、議会の体質として、議論の経過を重視し、かつその経過をオープンにする姿勢が必要不可欠です。
特定のドンが密室で圧力をかけ、情報を独占し、それが議員の特権だと勘違いをするような体質であったとしたら、とうてい十分な価値ある合議などできるはずもありません。
実際問題として、チーム議会として十分に議論をし、行政側のチェックを重視するよりも、議員同士でディスり合うことに汲々としているような議会も多くあります。
そのような意味で、昨今の議会不要論は自業自得でもあるわけですが、それでも必要なのは、議会を消去することではなく、改革することです。
そんなことを考えました。
 

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