信念なき嘲笑

【日本のペット問題】家に迎えられた犬が、1匹で悲しく死んでいくアニメに考えさせられる。

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これは正直きつかった・・・。↑

最後まで見るには、結構度胸がいると思います。ご注意を・・・。

 

悲しい話ですが、残念ながら掃いて捨てるほどよくある話なのかもしれません。

現在だけでなく、わが国おける過去の経緯も振り返れば、ますますそうなのでしょう。

私としても、多少は動物愛護関連の活動はしてまいりましたが、そんな私の活動を知っている人も周囲にいます。

そして、直接お話しをさせて頂くと、率直に言って私のそんな活動を「嘲笑」されることもあります。

推測ですが、ペットの遺棄、殺処分などはいて捨てるほどよくある話。いまさら多少の改善をしたところで燈籠の斧。そこをどうこうしようとしたって、しょせんは自己満足でしかない。

それよりも優先される施策、例えば子育て支援対策など、お金を使うべき所はいくらでもあるんじゃないの?

無駄なことしてるなーという感じの嘲笑なのだと思います。

 

掃いて捨てるほどよくある話、それは事実でしょう。

自己満足でしかないというのも究極的には事実だと思います。

しかしながら、今まで存在してきた不幸なのだから、今後もあり続けるのが当たり前だ。

そして、それを受け入れられるのが大人の態度だなどという、実に表面的な達観が、私たちにとって正解だとも思えないのです。

これまで存在してきた不幸だけど、時代を経るごとに1000のうちの一つでもよいから、改善することができた。

その積み重ねが人類の英知であり、進歩だと思います。

飼い犬が大きくなってかわいくなくなったから、捨てて殺処分までいかせるというのも人の業ですが、同時にそんな悲しみを無くそうと活動している人がいるというのも人の業です。

両極端ですが、どちらも受け入れて進むべき私たちの本質なのだと思います。

 

仮に動物愛護のボランティア等の活動をしている人と、同じくらいのエネルギーで、積極的に信念を持って「否定」するならまだ認められます。

しかし、自分は特に動かずに、人の活動を見てせせら笑い、相手を「下げる」ことで相対的に自尊心を満足させたいなどと言った、矮小なものが否定の動機なのだとしたら、それこそ「嘲笑」されるべきものだ。

そんな怒りを覚えることもあります。

 

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この記事の著者

守谷市議会議員 すえむら 英一郎

守谷市議会議員 すえむら 英一郎

誕生日:1977年9月20日
居住地:茨城県守谷市
学歴:つくば市立 茎崎第3小学校→守谷市立けやき台中学校→江戸川学園取手高等学校→立教大学文学部
趣味:読書、洋画鑑賞、犬の散歩、美味しいラーメン店の探索

2012年3月より、守谷市議会議員として市政に携わる

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