結論ありきの議論

日露戦争時の病死者に相当数の脚気患者がいたそうです。

当時の陸軍では白米を食べていたために、ビタミンB1の摂取が足りなかったのが原因とされています。因みに海軍では脚気患者が非常に少なかったとか。玄米食やパン食を取り入れていた為と思われます。

この経験則から当然出てくる、白米食をほどほどにすべきだという意見を握りつぶしたのが、文豪であり、かつ陸軍の軍医監でもあった森鴎外でした。


森鴎外は、自説であった細菌説に固執し、栄養失調説にかたくなに反対したそうです。科学の時代に食事療法なんて前時代的だというわけですね。もしかすると陸兵に早くから玄米などを食べさせていれば、病死者は遙かに少なくてすんだかもしれません。

軍医の仕事というのは当然のこと、兵の健康や命を守ることのはずですが、森鴎外の場合、それ以上に「自説の正しさを証明すること」が優先されてしまった気がしてなりません。

そして、「自説」に矛盾する「事実」は不都合であるので無視をするという思考回路だと思われます。

●事実を観察して、そこから結論を出す。

のではなくて

●結論を決め手から、都合のよい事実を取捨選択する。

というわけですね

バカバカしい話ですが、森鴎外の話は昔話ではなく、政治の世界はもちろんですが、いろいろなところで現在でも見られると思います。

そして前提となる結論は、しばしばメンツなどのくだらない理由で決定されます。

特に議会の現場などでそのようなバカバカしさで、時間を浪費せずに、地に足の着いた建設的議論を果たすことが重要です。

自分自身、このようなワナに陥らないよう重々気をつけたいと思います。

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