ものの考え方には2通りあるように思います。
●ドイツ式観念論、演繹法
前提や結論を決めた後、個別の事実を確認していく。
すべての事実と矛盾がなければ結論が正しいと推定する。
●英国式経験論、帰納法
事実を1つ1つ見ていく。検証から共通項などを見出して結論を決めていく。
ドイツ式のポイントは仮説との矛盾を見つけた際、ただちに結論を放棄できる潔さだと考えます。
しかしながら、今回のようにこれまでの努力を無にしたくない気持ちがあったり、場合によっては自分の間違いを認めたくない、面子の為にそれができない場合もあるように思います。
政治的の世界ではたとえば市民サービスの向上などの大目的があり、その為に仮説を立て、問題の解決策を図っていくわけです。
あくまでも市民サービスの向上が目的であって、自分の意見や見方の正しさを証明することが目的ではありません。
自ら作り出したバイアスの為に見たいものを見たり、見たくないものは見なかったりし、「自分の仮説や結論に事実を合わさせる」ような事をしても何の意味もありません。
日常的に自分の思考回路を点検し、客観視しかねばならないと思います。
今回の立川断層帯の事実誤認で佐藤教授の会見内容を見るに実に立派だと思います。
『見たいものが見えてしまった』など非常に客観的ですし、問題点の総括なども含めて自分の面子などよりも公共の利益を優先する姿勢が感じられます。
技術的な話はわかりませんが、少なくともこの姿勢は見習わなくてはならないと思います。
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