1項を守るのか2項を守るのか

【集団的自衛権】  「戦争反対」「9条守れ」  国会周辺などで抗議行動 
(共同通信)
安倍晋三首相が集団的自衛権行使の限定容認を目指す方針を表明した15日午後、東京都千代田区の首相官邸前では「戦争反対」などと抗議する多くの人が長い列をつくった。
 首相の会見が始まった午後6時。「憲法9条を壊すな」などと行使容認に反対するのぼりを掲げた数百人の市民らが太鼓などのリズムに合わせ、「平和を守ろう」「主権者は私たちだ」と一斉に大きな声を上げた。(以下省略)

日本国憲法第9条
1.日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2.前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

憲法9条の今後のあり方に関しまして、結論から私の意見を述べますと
①憲法9条は改正すべき
②具体的には2項を削除すべき
③同時に1項は死守しなければならない

以下私の思考回路を示します。

紛争解決のために殺し合いをしても良い、国家には「戦争を仕掛ける」権利がある。
これがかつての全人類的な常識でしたが、科学の発展によりあまりな大量死が可能となった現代にあっては、不可とせざるを得ません。
これが2度の世界大戦を経験した後の人類の出した結論であり、それは人類の叡智だと信じます。
これは死守しなければ先人のあまりに大きな犠牲に対して申し訳が立ちません。

「治安を守らなければならない。そのためにもただちに警察を廃止せよ」
これは合理的に成り立ちません。

同様に「平和を守り、国際紛争を解決するために(自国の)戦力を放棄せよ」は合理的とはいえません。
なぜなら、9条1項的な精神に対して、何の価値も抱かない個人や国は、現代でも存在するように思えるからです。
あらゆる戦争や紛争は常に先進国側から仕掛けられ、発展途上国は常に被害者であり、平和主義である。
このような無茶な前提(70年前はリアリティがあった)を元に作られたのが我が国の憲法9条なのではないかと思います。

私はこのように、我が国の憲法9条はその内部、1項と2項が相互に矛盾していると考えていますので、9条を壊すなと言われも、1項か2項かどっちだと考えてしまいます。
繰り返しにもなりますが、1項を壊すなら大反対、2項を壊すなら大賛成です。

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