http://www.soumu.go.jp/gapei/gapei2.html
↑総務省のホームページに、明治以来のわが国の自治体数の編纂があるのを見つけました。
明治21年には何と71,314もの自治体があったそうで驚きです。
平成26年 4月現在では1,718ですから、40分の1くらいに減った計算になります。
よく地方の衰退が問題視されますが、少なくとも「自治体」に関してはものすごい数が既に「消滅」してきたと言えます。
そして、それは必ずしもそこに住む市民の生活が破壊され、不幸になったことを意味するわけではありません。また、日本国全体として自治体数の減少そのものが、国の活力にとりダメージになったとも思えません。
一口に地方の衰退と言っても、それは自治体の財政危機などの話と見るか、それとも医療や公共サービスの低下、仕事が無いなど市民生活の話と見るかで、その処方箋も全然変わってくるのではないかと思います。
究極的にどっちが優先かと考えれば後者でしょう。
乱暴な話ですが、今ある自治体の枠なんか無くなっても、市民の生活が守られればそれで良いとも言えるわけです。
今住んでいる街で例えば病院が無い、買い物が不便だといった不満があったとして、
●では、もっと便利な別の街に引っ越せばいい。
●広域合併して、公共サービスを充実させる体力をつけよう。
といった選択肢は、その自治体の市長などにとってはものすごく困った話ですが、個人の幸福を追求する限り、手っ取り早い正解の一つではあると言えます。
私の周りでも、守谷市の便利さに惹かれて他市から越してこられた方は何人もいます。その方がたは間違ったことをしているわけでもありませんし、不幸になったとも限りません。
別に自治体存続を放棄せよと言いたいわけではありません。最も、今の全国の自治体の数が何十年後も維持できるとも思えませんが。
しかし、あくまで最終的に守るべきは市民生活であって、今ある「自治体の枠」ではないと認識しながら、地方の衰退問題に取り組むことが必要で、
そうでないと、結局は職員や市長、議会議員、仕事の利害関係がある人など、自治体の枠の中で既得権のある人たちが、それを守ろうとしているだけではないかと、多くの市民から白い目で見られる可能性が出てくるように思うのです。
昨今の政治不信や無関心の原因にも、そういった構図、仕事や生活エリアの違いから来る、利害関係の差、温度差はあるような気がします。
以前、守谷市議会の本会議場で、ここに座っている人間は市の幹部も含めて、ほぼ全員、市内で仕事が完結する人だろう。でも市民の大半はそうではない。この時点で市民の気持ちが分かるのかと疑問に感じたことを思い出しました。
民主主義というのは難しいなと感じます。
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