「しがらみ政治」は本当によく使われます

「しがらみ政治」とは何なのか? 政治家が使うキャッチフレーズには、十分注意が必要だ 京都大学霊長類研究所教授・正高信男(産経ニュース)

政治の世界では、よく聞くフレーズの割には実は中身がよく分からない。中身が分からないまま、何となく正義っぽく聞こえる言葉、逆に何となく悪の手先っぽく聞こえる言葉が好まれて使われると感じています。
「しがらみ政治」という表現は本当によく使われますが、「しがらみ」が具体的に何を指し、何故それがイケナイのかは、あまり突っ込んで語られることはありません。
 
「しがらみ政治」、漠然とですが、公共の利益よりも政治家個人の人間関係やネットワークを優先する身びいきのような、悪代官的なイメージは連想されます。
例えば、(ちょっと過激な例かもしれませんが)高齢者に知り合いが多く、支えたいという思いから、年金支給額の拡大を訴える現職政治家がいたとします(一方で若い世代の保険料負担増には触れず)。
その政治家を「しがらみ打破」などのフレーズで力強く批判し、若い世代の負担軽減を訴えた別の政治家が選挙において勝利したとします(一方で高齢者の年金支給額削減には触れず)。
しかし、これは冷静に考えると、政治家の「人間関係=しがらみ」がゼロになったわけではけしてなく、Aというしがらみが別のBというしがらみに置き換えられただけとも見なせます。
もちろん「A=高齢者支援」と「B=若者支援」と間に価値の優劣はありません。
 
個人的体験からも身に染みているのですが、実はもう一つパターンがありまして、「しがらみ打破」の本音は、実はしがらみを無くすことではなく、「並列する無数のしがらみを滅ぼし、我が元に一本化する」を目指す場合です。
「高齢者福祉vs若者負担軽減」も一例ですが、正しいことは一つではなく、無数に並列します。
「しがらみだらけ」というと絶望的にも聞こえますが、無数の正義の同時並列が許される時代と見なすと、ある種の民主主義の極みではないかと思えます。
ただ、並列する複数の正義の間では利害関係が競合することも多く、それらを調整して最終的な結論を出していくのは骨が折れますし、本当に時間がかかります。実は議会の議論などは、常にそういった事の連続でもあります。
 
ものすごく社会問題の解決に熱心で行動的。しかし、裏返すとものすごく独善的で性急。
そんな、政治家にとっては、時間のかかる調整は無駄としか思えず、複数の正義の並列などはけして認めらず、数多ある「しがらみ」は理解のできない、滅ぼさなくてはならないものになるでしょう。
なぜなら自分が最も優秀で、自分のみが正しいからです。
 
過去に、「しがらみ打破」「地方分権」などのフレーズを武器に、既存政党を中央集権的で独善的のように批判した政党がありました。
同時にその政党の内部においては、実は全く分権的ではなく、議論が許される雰囲気もない。ただ盲目的に国会議員である上の言った事に従うことが求められる。そんな内部事情を体験したことがありました。
最初から中央集権、価値の集約等を訴えているならまだ良いと思います。しかし、外で言っていることと、身内でやっていることが真逆となってしまっては、これはある種の詐術になってしまいます。
 
最近でもあったこのような記事を読むと、私がかつて体験した事と近いものが今でもあるのかと感じます。

音喜多氏がぶちまけた小池知事批判 「忖度政治を批判していた我々が忖度だらけ」2017/10/ 5 20:22 J-CASTニュース

 もしかすると、政治の世界では本当によくある事なのかもしれません。そうだとすると、とても残念なことであると感じますが。

 
 

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