先週の総選挙における希望の党の低迷は、小池都知事による(政治的理念や政策が合わない方々への)「排除」発言がきっかけになったと報道等では語られることが多いようです。
批判的に語られる「排除」発言ですが、では「排除」すべきでなかったのか。
つまりは理念や政策が合わない人とも、あえてそこは目をつぶって、数重視で政党を作るべきだったのかと考えると、個人的にはかなり疑問に思います。
そこは批判する方も、政策なんてどうでもいい!政党は数だ!などなど割り切った意見を表明するわけでもなく、あくまで「排除」という表現が過酷で、悪玉イメージを与えた。そんな意見が多いようです。
反面、立憲民主党は「排除」された側になったことから、被害者イメージ、善玉イメージが付き、躍進の原動力となったとか。
立憲民主党の躍進の原因は正直よく分からないのですが、上記の通りなのかもしれません。
ただ、少なくとも民進党に期待しなかったのにも関わらず、立憲民主党に期待する理由はないと考えています。
政策的にもメンバー的にも、2009年からの民主党政権時とあまり変わることがなく、党名が変わっただけのように、私からは見えます。
加えて、「筋を通した」メンバーばかりでもありません。いったん希望の党に公認申請をしたのにも関わらず、公認が降りなかったゆえにやむを得ず立憲民主党公認で立候補した方もおり、本質的に被害者ばかりとは言えません。
仮に上記の立憲民主党の躍進がその通りだとします。
選挙においては、政策・マニフェストが大事だ!と言われますが、それはしょせんきれいごと。
実際には、細かい政策等はあまり影響せず、善玉イメージ、悪玉イメージ、こういった流れが決定的に影響を及ぼすと仮定すると、各選挙区における候補者の努力はかなりむなしいものになると感じます。
政治と選挙は全く別物というのは私も実感はしていますが、これもまた民主主義の一環だなと信じ、味わうしかありません。
最後に政治を傍観し、批判するだけではなく、自ら巨大なリスクを取り、総選挙に立候補した候補者の皆さまには、等しく一定の敬意が払われるべきと感じています。
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