コミュニティによる絆とダークサイド

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守谷市議会でも、自治会の加入率の低さが議論の対象となることがあります。
その際に、多くの議員が農村コミュニティのような濃密な地域組織をイメージし、それを正しいとした上で、新興住宅地などで同じように実現できないのはなぜか、もしかすると自治会に入ろうともせず、濃密なコミュニティを実現しようとしない新興住宅地の市民を責めるような本音があるように感じ、違和感を覚えたことがあります。
濃密なコミュニティは「絆」が深く、さまざまな生活上の問題を解決するため、特に災害時などの共助を発揮する上では役割が非常に重要なのは言うまでもありません。
しかしながら、濃密な絆は地域内での唯一の正義を作り出し、必ずしもそこに共感しない人への拘束や抑圧、監視などにつながるというダークサイドも秘めているように思います。
多くの新しく引っ越してきた新興住宅地の人は、そのようなダークな面を重視しているからこそ、ある意味積極的に「自治会等には入らない」という選択をしているのではないかと思います。
他者の自由を脅かさない範囲で、如何に個の自由を拡大するかというのが近代人のテーマの一つだとすれば、そのような新興住宅地人の選択は恐らくは一つの正解なのでしょう。
選択するのは、個々人であり、何が正しいかを行政等が強制するわけにはいきません。
なぜそのような選択をしているのか、せざるを得ないのか、そこを考える必要があり、どれだけ他者から「農村コミュニティのようなものを作るべき!」と力説されたとしても、けして実現されないように思います。
地域コミュニティによる共助の力、市民協働は今後の地方自治にとって必要不可欠です。
同時に、昔ながらのやり方に固執してはけして前には進まず、新たな地域コミュニティのあり方を模索しなければならないとも思います。
このような点から市議会での議論には若干のズレがあるようにも思います。
 

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