不必要に悲観的になることなく

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タイトル通り、2100年には、日本の人口が3分の一の4000万人台にまで減少してしまうことを予言した上で、歴史人口学に基づいた客観的データをもとに、悲観的になることなく、冷静に対処することの必要性などが述べられています。
・歴史的に見て人口減少は初めてのことでなく、文明の成熟化に伴う必然であるので、著者は安易に悲観する立場はとらない。
・必要なことは持続可能な新しい日本文明の構築。ただし、過去の産業革命時などの文明の転換点と違って、わが国が手本にできる「先進国」が存在しないのは問題。
・1974年には、政府は人口増加が問題視し、子供は2人までと訴えていた。皮肉的に言えば予定通りの少子化ともいえる。
・労働力の確保のためにも、高齢者の定義を変える必要があるのではないか。また諸外国と比べて働く女性の比率が少ないのが課題。逆に言えば伸びしろがあるとも言える。
・予測されている人口減少を前提にして、一人当たりのGPDを維持するには、生産年齢一人当たりでは年0.3%の成長が必要。また、GDP総量を保つためには、生産年齢一人当たり年1.3%の成長が必要。
・コンパクトシティ化の推進。ある程度の過疎地域からの積極的な撤退が必要なのではないか。
などなど。
歴史人口学というは、あまり聞かない学問でしたが、人口の増減だけでなく、人々のライフスタイルと経済、都市と地方の関係、地域の人間関係や家族関係の推移などを、歴史的な各地点で客観視していく視点は非常に面白く感じました。
個人的に、人口減少は人類の英知の一つではないかとずっと感じていました。理由は単純で、地球の大きさは決まっているからです。
人口が減少していくなかでの経済の構築、少子高齢化の中での社会保障制度の維持など、確かに大変な課題ではありますが、戦争などによる大規模な「間引き」を強いられるよりも、ずっと明るい未来だと思います。
また、私の世代は、学校を卒業した瞬間からずっと不景気だったせいかもしれませんが、高度経済成長が常態でなくてはならないとはまったく感じません。
加えて、歴史的にみれば、人口の爆発的増加、高度経済成長は一時期の流行だったに過ぎないと見れると思います。
かつての高度経済成長時代には戻れません。でもそれでも良いのだと思います。新たな時代の新たな課題に向けて、冷静に努力を積み重ねていけばよいのでしょう。
人口減少を前提にして、都市や生活圏の再構築が求められるなか、今後の地方自治においては、自治体間の競争、「いかに選んでもらうか」がますます重要になってくると思われます。
また、人口政策の影響は30年後に出てくるそうですが、まちづくりの効果という点でも同様ではないでしょうか。今やっていることが、必ず将来に繋がっていくと想像すると、いろいろ頑張れる気がします。
 
 
 

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